「人(ひと)」シベリア抑留体験を初めて語る 野原國雄さん(96) 鈴鹿市桜島町

【「戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えたい」と話す野原さん=鈴鹿市桜島町で】

一般財団法人「全国強制抑留者協会」が7月16―18日に三重県四日市市安島の市文化会館で「シベリア抑留関係展示会」(総務省大臣官房総務課、四日市市、市教委後援)を開く。その一環として、会期中の17日午後1時半から同館第4ホールで開催の「抑留体験の労苦を語り継ぐ集い」で、野原國雄さん(96)が過酷だった収容所生活を初めて語る。

野原さんは岐阜県出身。昭和19年に入隊し、翌20年に満州で終戦を迎えた後、旧ロシア軍によってシベリアの捕虜収容所に連行された。氷点下30度の厳寒の中での鉄道の敷設工事や橋造り、原始林の伐採など強制労働の毎日だった。

黒パン1切れとスープの粗末な食事しか与えられず、作業中に見つけた木の芽や実を食べて飢えをしのいだ。毒のある草の根を食べて亡くなった戦友もいた。亡くなった仲間は凍土を掘って埋葬した。62キロだった体重が50キロを切るほどにやせ衰え、体力が戻るまで重労働からはずされて食事係に回された時は一息つけたと振り返る。

自身が居た収容所では約1000人中60人余が亡くなったが、隣の収容所では1000人の仲間がほぼ全滅したと聞いた。「こんな所で死ねない。生きるぞ」の一念で3年余を生き延びた。復員船から舞鶴港が見えたときは、心の中で万歳を叫んだ。迎えてくれた兄の姿が涙でぼやけ、持って来てくれた好物のぼた餅に感動した。

同協会は、戦争が終了したにもかかわらず在満日本軍人、開拓団・義勇軍、看護婦など60万人余がシベリア各地に強制拉致され、極寒の地で飢餓と重労働、疫病などによって6万人余が尊い命を落とした事実を風化させず、正しく後世に伝えなければならない、と活動している。

野原さんはこれまでなかなか話す気持ちになれなかったが、生き証人として語ることで、亡くなった同胞への追悼になればと決意した。体調を整えて講演会に臨み、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えたい、と語った。