光太夫の帰郷文書など展示 鈴鹿の記念館 三重

【光太夫の里帰りやその時の故郷の様子を紹介する資料の数々=鈴鹿市若松中1丁目の大黒屋光太夫記念館で】

【鈴鹿】三重県鈴鹿市はこのほど、同市若松中一丁目の大黒屋光太夫記念館で、企画展「光太夫の里がえり」を開き、市指定文化財の古文書「大黒屋光太夫らの帰郷文書」を中心とした約40点を展示した。7月19日まで。

古文書は、昭和61年に光太夫の出身地南若松の倉庫で発見された。中には、光太夫が一時的に鈴鹿に帰郷していたことを示す内容が多数含まれており、「帰国後は幽閉されて生涯を終えた」とするこれまでの定説を覆した。

展示では古文書36点のうち、享和2年(1802年)に光太夫が玉垣村の実母を訪ねたことを記した文書など19点のほか、62歳の時に光太夫がローマ字式のロシア文字で揮毫(きごう)した「福寿」の掛け軸など、貴重な資料の数々が並ぶ。資料は全て市の所蔵品。

所管の同市文化財課では「古文書を何冊も読み解くことで一つの事実が見えてくることもある。そういう面白さを知ってもらうとともに、光太夫を身近に感じてもらえれば」と話していた。

大黒屋光太夫(1751―1828年)は江戸時代に漂流し、日本で初めてロシアを見て帰国した船頭。帰国後はロシアや西洋の体験者として、蘭学者などに大きな影響を与えた。