<まる見えリポート>来年、三井高利生誕400年 記念事業に向けて松阪市長意気込み

【三井家跡に建つ市産業振興センター(左)と本町ポケットパーク(中央)。右奥は三井家発祥地=松阪市本町で】

来年、三井高利(1622―1694年)の生誕400年を迎える。高利は越後屋を1673年に開いたので、再来年は三井グループ350年に当たる。三年前の松浦武四郎生誕200年記念事業が北海道命名150年と重なったように相乗効果が期待でき、竹上真人松阪市長は来年から続く記念事業に向け「スタートの年にしていきたい」と意気込んでいる。

松阪商人が主力商品として売りさばいた松阪木綿は農村の副業の綿作りと機織りの産物。高利は江戸で商人見習い後、帰郷して金融業を始め、村を単位に貸し付ける「郷貸」を特徴とした。地域とともに成長し、52歳の時、蓄えた資金で江戸に越後屋呉服店を開いた。

当時は商人と顧客が交渉して値段を決め、代金を付け払いしていたが、越後屋は定価で現金払いの「現金掛け値なし」を新たに取り入れ、商品の値段を下げて爆発的な人気を得た。

また一反単位で販売する当時の商習慣に逆らい、切り売りに踏み切った。奉行所に違約金を払ったが、客に喜ばれ一層評判を高めた。

江戸、京都、大阪に店を構え、三都間で為替業務ができるようになり、幕府の為替御用方を務め繁盛していった。

頭の切れる高利の越後屋は戦前日本最大の財閥に発展した。菊池浩之氏の「三井グループの研究」(洋泉社、平成29年)によると、「商業センスは教えて身につくものではない。それよりセンスのある者を抜擢(ばってき)した方が合理的だ」というわけで、「三井財閥には、有能であれば、外部出身の中途採用でも抜てきを惜しまず、存分に働かせる柔軟性があった」という。才覚を生かす高利の実力主義が息づいている。

■   ■

松阪市本町に三井家発祥の地が残るが、三井家旧宅は財閥解体で維持困難となって同市が譲り受け、現在は敷地に市産業振興センターと三井家を模した本町ポケットパークが建っている。

「豪商のまち松阪」をキャッチフレーズにまちづくりを進める同市が平成29年に策定した「中心市街地土地利用計画」では、市産業振興センターを「三井家と伝統産業を考慮した施設」に変えるとした。

同センター1階の松阪もめん手織りセンター横に、日本橋三越本店をはじめ松阪にゆかりのある東京・日本橋かいわいの老舗企業を紹介するコーナーを整備し、拠点ができた。同市と「歴史のご縁による連携協定」を結ぶ三越伊勢丹ホールディングスとの連携事業でもある。

松阪青年会議所が刊行した歴史漫画「鈴せんせい 本居宣長のすべて」(平成元年)と「智恵は富なり 三井高利のすべて」(同11年)のうち、宣長本は出版した2万5千冊を完売する一方、高利本は発行した2万冊の半分近く8800冊が残った。前者は本居宣長記念館で売れていき、売れ行きは顕彰施設の有無が響いたという。編集関係者でつくる管理団体は先月21日、残部を版権とともに同市へ寄贈した。

■   ■

同市小野江町出身の探検家、松浦武四郎(1818―1888年)は52歳の時に明治政府へ蝦夷地に代わる名称「北海道」を提案したので、平成30年の生誕200年記念事業は北海道150年事業と重なった。

武四郎の誕生と活躍の両地が連携する形となり、三重県総合博物館や北海道博物館が巡回展「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」を開催。アイヌ民族との共存を提起した業績などに光が当たった。

また両県道は昨年2月、武四郎やアイヌ文化に関する交流連携について合意し、博物館の相互連携や修学旅行を通じた交流に取り組むとした。

生誕200年に合わせ生家を「松浦武四郎誕生地」として整備、公開。平成6年に開館した松浦武四郎記念館は生誕記念事業に伴う入場者増も受け、併設している小野江公民館を隣接地に移転新築し、単独施設としての改装工事が今年5月から始まる。

多くの成果が出た生誕記念事業は竹上市長の北海道知事訪問からスタートしているが、今回はコロナ禍のため三井家同族会への恒例の年始あいさつに行けなかった。

年頭の定例記者会見で竹上市長は三井高利生誕400年記念事業について、「コロナでなかなか東京に行けない事情もあって思うように進んでいない部分もあるが、生誕400年の翌年が三井グループ350年。キックオフの年にしていきたい」と抱負を語った。