鈴鹿 光太夫、帰郷の古文書 記念館で企画展 三重

【光太夫の帰郷を示す貴重な資料の数々=鈴鹿市若松中1丁目の大黒屋光太夫記念館で】

【鈴鹿】三重県鈴鹿市はこのほど、同市若松中一丁目の大黒屋光太夫記念館で、企画展「光太夫の里がえり」を開き、市指定文化財の古文書「大黒屋光太夫らの帰郷文書」を中心とした約40点を展示した。9月27日まで。

古文書は、昭和61年に光太夫の出身地南若松の倉庫で発見された。光太夫が一時的に鈴鹿に帰郷していたことを示す内容で、「帰国後は幽閉されて生涯を終えた」とするこれまでの定説を覆した。

今回の展示では古文書36点のうち、19点を展示。江戸幕府が亀山藩に出した光太夫らの処遇を伝える文書(寛政5年、1793年)など19点を展示したほか、75歳の時に光太夫が、縁起がいい「つる」をロシア文字で書いた書など、貴重な資料の数々が並ぶ。資料は全て市の所蔵品。

所管の同市文化財課では「古文書の発見で歴史的事実が変わり、実は光太夫が帰ってきていたということを知ってほしい」と話していた。

大黒屋光太夫(1751―1828年)は江戸時代に漂流し、日本で初めてロシアを見て帰国した船頭。帰国後はロシアや西洋の体験者として、蘭学者などに大きな影響を与えた。