九鬼氏に剃髪禁じる書状 石田三成ら五奉行通達 鳥羽市教委 三重

【五奉行から九鬼父子への通達が記された豊臣家五奉行連署状(堺市博物館提供)】

【鳥羽】三重県の鳥羽市教委は11日、志摩国出身で九鬼水軍を率いた水軍の将としても知られる九鬼嘉隆(1542―1600年)と守隆(1573―1632年)の親子が、当時の政権を運営していた石田三成ら五奉行から剃髪を止めるよう指示を受けていたことを示唆する史料が見つかったと発表した。担当する文化財専門員の豊田祥三さん(44)は「これまでの記録にはない新事実」と話している。

史料は、五奉行が各大名に宛てた通達をまとめたとされる「豊臣家五奉行連署状」の一節。豊臣秀吉が病死し、朝鮮半島からの撤兵が完了した慶長三(1598)年の12月29日付で五奉行から九鬼親子に出された書状とみられ、「豊臣政権の許可なく、勝手に法体(剃髪すること)になることは固く禁じられていますので、そのように心得てください」といった内容が記されているという。

嘉隆らが剃髪しようとした理由については、秀吉の死に対する弔意を示す意図や、家督を譲り第一線から身を引いて出家しようとしていたなど諸説あるとしている。当時は第二次朝鮮出兵直後で秀吉の死がまだ公表されていなかったため、五奉行らがその死を秘匿する意味で、行動をいさめた可能性が高いとしている。

九鬼氏に関する論文を研究していた豊田さんが同史料に九鬼氏に関する記述があることを知り、平成30年7月に資料を所蔵する大阪府の堺市博物館に画像の提供を依頼。九鬼氏の研究者でもある大阪城天守閣館長の北川央氏と共に、解析を進めていた。

北川氏は「秀吉の死の公表直前に嘉隆父子が自ら法体になろうとしていた事実が明らかになったとともに、九鬼氏が秀吉に恩義を感じていたことがうかがえる点で非常に興味深い」とコメントを寄せている。

豊田さんは「嘉隆の生涯は不明な点が多く、朝鮮出兵後の動向を知るうえで重要な発見。お家騒動で県外に流出した史料も多く、まだ知られていないものがあれば情報提供をいただきたい」と話している。

同市立図書館(同市大明東町)では8月31日まで関連史料のパネルを展示する。問い合わせは同市教委生涯学習課=電話0599(25)1268=へ。