尾鷲 矢ノ川峠交通の変遷に焦点 熊野古道センターで企画展 三重

【矢ノ川峠を走ったバスのシンボルマークなどが展示された会場=尾鷲市向井の県立熊野古道センターで】

【尾鷲】明治から昭和にかけての三重県尾鷲市と熊野市を結ぶ矢ノ川(やのこ)峠道の交通変遷に焦点を当てた企画展「矢ノ川峠物語―想い出がこだまする」が尾鷲市向井の県立熊野古道センターで開かれている。15日まで。

急峻な紀伊山地に阻まれ、両市間を行き来する交通手段は船を利用するか陸路を歩くかのどちらかだった。明治期に両市の間にある矢ノ川峠(標高807メートル)を越える車道が整備され乗り合いバスが運行。昭和2年には尾鷲側で最も険しかった区間に、日本で初めて旅客索道が建設されたが、国鉄バスが運行するようになり廃止された。

11年に国鉄バスの運行が始まり、43キロの道のりを2時間45分で運行した。バスは34年に紀勢本線が全線開通するまで運行し、23年間、無事故だった。

会場には当時のバス運転手の作業帽やバスのシンボルマークなどを展示。バスが安全に運行できるように道を保全していた人たちについてもパネルで紹介。センター職員が制作したゴンドラや矢ノ川峠の地形模型もある。

企画したセンターの橋本博さん(52)は「23年間無事故だったのは整備士や道を保全する人たちの協力があったから。今は30分で行ける区間だが、苦労した時代があったことを知ってほしい」と話した。