飯高山中に巨岩群 神社の成り立ちを示す

【東側尾根で斜面に対して垂直に突き出た巨石群。記者(右)の4倍ほどの高さ=松阪市飯高町富永で】

おむすび形の山を真ん中にして両脇に山が控える「神山」の景観を発見した古代史研究家、井上香都羅氏は「神社が古代の神山を拝する祭祀の場に建てられている」「神山には、必ず磐座いわくらと呼ばれる巨岩があります」と説く。松阪市飯高町森の黒瀧くろたき神社から北を見ると、標高一二〇〇メートルの無名の山を中心に東西約四・五キロに両翼が広がり左右対称となる。中心の神山に祖霊が昇天、降臨するとされるいわくらがあるのか。理論的にはあるので行ったら巨岩群があった。(松阪紀勢総局長・奥山隆也)
同神社の本殿へ向かう石段の右側に台形状の山並みが見える。西から東へ三峰みうね山(一二三五メートル)、平倉峰(一二二二メートル)、涸谷かれたに山(一一四八メートル)、黒岩山(一一〇一メートル)が連なる。
四峰の中心に標高一二〇〇メートルの山が位置し、山頂から尾根が東西へ二本下がって「(」形に浮かび、神山の形になっている。
冬の樹氷で知られる三峰山の登山コースから外れているが、二本の尾根を歩いていくと木の幹や枝に登山路の目印の赤テープが巻かれている。
東の尾根は標高一一一〇メートル付近で斜面に対して垂直に巨石群が突き出し、一帯は巨岩地帯。西の尾根は九七〇メートル付近に巨岩が集中している。中でも胸のあたりまである四角い柱のような岩が七十センチほど空けて等間隔に三つ並び、端の岩が四角の岩盤に乗って見える一群が目を引く。自然物だが不自然だ。
また、本殿への参道左側には飯盛いいもり山(九三〇メートル)と、「マッターホルン」の異名を持ち岩肌を見せるその前衛峰(八〇九メートル)が並んで見える。本殿横には「山の神」のほこらがある。
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井上氏は、古代の遺跡は神山を拝する祭祀の場なのではと仮説を立て、全国の弥生時代の銅鐸どうたく出土地や縄文・旧石器時代の遺跡計約一千カ所を現地調査し、全てで神山を確認した。
著作で井上氏は「子孫たちは、神となって降臨し山に宿った祖霊を、年に一度か二度、麓の山を正面に拝する場所に招いて、祖霊の祀りを行ったのです」(「銅鐸『祖霊祭器説』」彩流社、平成九年)、「霊はこの神岩から昇天し、元の神岩に降臨してきたもののようだ」(「古代遺跡と神山紀行」同、同十五年)と書いている。
日本民俗学を確立した柳田国男は膨大な民俗伝承の研究を基礎に、人が死んだら魂は山の上空に昇って子孫を見守るという信仰を推定した。
伊勢神宮の内宮禰宜ねぎ、荒木田氏の玉城町での山宮祭を検討した柳田の昭和二十二年の「山宮考」では、「祭って居る神が、遠い先祖の霊だったことは判り、それが一定の期日を約して、山から降って来られる」「山の峯の前後左右は天つ空であったこと、又一つには次々の子や孫が、なほ同じ路を過ぎて高い處へ、昇って行くものと見られて居た」と記す。
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「古事記」に出てくる最も古い神社の一つ、奈良県桜井市の大神おおみわ神社は三輪山(四六六メートル)そのものを祭る。本殿はなく、拝殿から直接、神体山を拝む。
三輪山の山中にはいわくらがあり、山裾に辺津へつ磐座、中腹に中津磐座、頂上に奥津おきつ磐座と呼ばれる三つのグループがある。古来入山が制限されてきたが、現在は大祭日などを除いて登拝できる。
神山の形を望める場所が、この世とあの世を結ぶ接点になっているから聖地とされてきたようだ。