大紀町錦、土器片で再注目 ヤマト王権とのつながり発表 三重

【昭和20年代後半|30年代に錦地区から出土した約20点の土器片=大紀町錦の町役場錦支所で】。

【度会郡】熊野灘に面した三重県大紀町錦で昭和20年代後半―30年代に出土した土器の破片約20点が、邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(3世紀初め―4世紀前半)から出土した土器と同じ粘土で作られていたと町教委が31日、発表した。ヤマト王権と錦との密接なつながりがうかがえる資料として注目されている。

約20点の考古資料は、煮炊き用の甕(かめ)や食べ物を盛り付ける器の高坏(たかつき)などの土器片。地区内の名古遺跡などで地元の中学生らが採集し、錦支所で保管されていた。いずれも近畿中央部系の庄内式・布留(ふる)式系の土器片とされる。

桜井市纒向学研究センター統括研究員の橋本輝彦さんが、以前から同地区の歴史を調査する皇學館大の岡田登名誉教授から土器資料の存在を聞き、今年2、3月に調査を実施した。

橋本さんは「ヤマトから持ち込んだような土器がたくさん含まれていることから、確実にヤマトや奈良の中央部から錦に3世紀の段階でかなりの人がやってきていると推定できる」と話し、「海の沿岸部を介した東西の交流の拠点となる港としての機能が名古には期待されたのでは」と指摘。「今後、考古学の中では錦という場所は重要な場所として認識されることになるだろう」と述べた。

岡田名誉教授は「小さな土器片からヤマト王権とのつながりをしっかりと結びつける話ができると分かったことが大事」と話した。

町教委は「できるだけ多くの人に見てもらいたい」と土器片を錦支所で一般公開している。