栄福丸衝突・転覆事故から5年 「時が止まっている」 遺族の悲しみ消えず 三重

【「事故のことを忘れてほしくない」と語る西岡さん=尾鷲市三木浦町で】

【尾鷲】東京・伊豆大島沖で貨物船「第18栄福丸」が中国企業が所有する貨物船と衝突して転覆し、三重県民5人を含む日本人乗組員6人全員が死亡した事故は27日に発生から5年を迎える。「5年前から時が止まっている」。遺族の悲しみと苦しみは消えず、「まだまだ気持ちの整理がつかない」と胸の内を明かす。

事故は平成25年9月27日未明、伊豆大島沖西約11キロで発生した。名古屋市の海運会社「丸仲海運」が所有する貨物船「第十八栄福丸」(498トン)が西アフリカ・シエラレオネ船籍の貨物船「JIA HUI(ジィア・フィイ)」(2,962トン)と衝突して転覆した。

この事故で亡くなった次席機関長の西岡康典さん=当時(57)=の妻、泰己(やすみ)さん(61)=尾鷲市三木浦町=は「あっという間の5年だった。まだまだ気持ちの整理がつかない。夫のことは一日も忘れたことがない」と語る。月命日には欠かさず自宅近くの漁港から海に向かって冥福を祈る。

輪内中の同級生だった康典さんとは24歳の時に結婚した。中学卒業後にマグロ船の乗組員となった康典さんは年に一回ほどしか自宅に帰れず、最長で1年8カ月会えないこともあった。

康典さんは、家族と過ごす時間を大切にしたいと17年に丸仲海運に入社。2カ月に1度、自宅に帰れるようになった。休暇には料理を作ったりと「家族思いだった」と泰己さん。「定年後はゆっくりと2人で過ごしたかったのに。人生が変わってしまった」と心情を吐露する。

事故後、遺品整理をしていると、タンスの中から、新婚当初に康典さんが泰己さんと子どもたちに向けて、1時間以上にわたってメッセージを吹き込んだカセットテープが出てきた。

「泰己、元気か。子どもたちのために頑張らないといけない」。語りかけてくる康典さんの声に、「聞くと笑顔が浮かぶんです」と泰己さん。テープは大切に保管している。

5年経った今でも悲しみや怒りは消えない。それでも頑張ってこられたのは、3人の子どもがいたからという。事故の後、5年間で4人の孫にも恵まれた。

「子どもに助けられたし、周りの方にも支えてもらった」と述べ、「いつまでも事故のことを忘れてほしくない」と語る。

一方で、船舶事故は後を絶たない。海上保安庁の統計によると、船同士の衝突や単独など全国の船舶事故隻数は25年から29年の5年間で1万592隻に上る。尾鷲海上保安部によると、第四管区内では25年から29年の5年間で、船同士の衝突で4人、転覆事故で4人が死亡している。

尾鷲海保の松浦あずさ部長は、事故を起こさないためには「早めの動作と安全な運航を心掛ける基本事項の徹底と、危険な状態をつくらないこと」と話す。

第十八栄福丸衝突転覆事故 平成25年9月27日午前1時20分すぎ、東京・伊豆大島沖西約11キロの海域で、名古屋市の丸仲海運所有の貨物船「第十八栄福丸」(498トン)と中国企業が所有するシエラレオネ船籍の貨物船「ジィア・フィイ」(2,962トン)が衝突し、栄福丸が転覆。県民五人を含む日本人船員6人全員が死亡した。ジィア・フィイの操船を指揮していた中国人船員が業務上過失致死などの罪に問われ、静岡地裁沼津支部は26年3月、禁錮3年を言い渡し、確定した。