-障害者の雇用創出も ものづくり、可能性追究- 「三浜紙器」社長 南川伸一さん

【「段ボールの可能性を追求して雇用の創出と会社の発展につなげていきたい」と話す南川さん=四日市市野田で】

 四日市市野田の「三浜紙器」は、父の故一男さんが母三喜子さん(78)と同市浜一色町で昭和37年に創業した。名古屋市の工場で不要になった段ボールを回収し、カットして地場産業の万古焼の緩衝材として販売してきた。平成19年に経営を引き継ぎ、地元密着企業として業績を伸ばしている。

 昭和40年代に導入した段ボール印刷機によって、個々の陶器に合わせた段ボールの小箱や内・外装ケース、急須と湯飲みや土鍋と小鉢のギフトセットに使う化粧箱作りなど、万古焼業者の多様なニーズに応えられるようになった。事業を軌道に乗せ、同47年には法人化して株式会社とした。

 同52年からは障害者の雇用を受け入れるようになり、平成2年には敷地内に就労継続支援B型事業所「みはま作業所」を併設して、障害者らの雇用創出で自立支援と機能回復を図っている。

 「段ボールの揺りかごから墓場まで」を目指して、段ボールの製造販売に加え、企業や一般家庭から出る古紙を回収し、ブロック状態にして製紙会社に戻すというリサイクル事業を展開している。

 同市浜一色町で4人きょうだいの長男として生まれた。夜遅くまで働く両親に代わって、祖母が4人の面倒を見てくれた。忙しい父が、たまの休日に動物園やボウリングに連れて行ってくれたことがうれしかった。

 松阪市の三重高校を卒業後は、母方の実家が営む陶磁器問屋で働き始めた。成人式を前に、父から手渡された元旦恒例のお年玉は「三浜紙器 営業南川伸一」と書かれた名刺だった。高校進学前、寮生活をする条件として将来は家業を継ぐという父との口約束をいいかげんに考えていた自分を恥じ、心機一転して三浜紙器に入社した。

 午前中は営業、午後は現場と配送業務に就いた。どこに営業に行けばいいのか、どんな売り込み方をすればいいのかを模索しながら、1カ月後に飛び込み訪問をした漁網会社で段ボールの注文を受けた。「あの時の喜びは今も忘れられない」と振り返る。少しずつ顧客が増え、紹介ももらえるようになり仕事にやりがいを感じるようになった。

 平成3年、バブル崩壊後の不況によって得意先が相次いで倒産した。売掛金回収ができなくなり、廃業の危機に追い込まれたが、材料の仕入れ先の支援を得て立て直すことができた。それを機に、経営学を基礎から学び、それまでの手形決済をやめて現金取引に変更した。

 創業45周年を迎えた平成19年、体調を崩した父から、「顧客と社員を大切に」「障害者福祉」の2本柱の精神とともに経営を引き継いだ。従業員24人と、社訓の「迅速・確実・丁寧をモットーにお客さまの安心を包み、環境を守ります」を、朝礼で確認して1日をスタートしている。

 コンピューターによる作業工程管理を取り入れ、週5日制にして育休や介護休暇も取りやすくした。残業の廃止で家族と過ごす時間が増えたと従業員に喜ばれている。「楽観できない状況だが、新しいものづくりのチャンスと捉え、段ボールの可能性を追求して雇用の創出と会社の発展につなげていきたい」と意欲を見せた。

略歴: 昭和38年生まれ。同56年私立三重高校卒業。同58年三浜紙器入社。平成17年中小企業家同友会入会。同18年県紙器段ボール箱工業組合理事就任。同19年三浜紙器社長就任。同29年市の「男女がいきいきと働き続けられる企業奨励賞」受賞。