-依頼主の喜びが励み 修復など全国各地に対応- 表装修復専門店「北岡技芳堂」代表 北岡賢(まさる)さん

【「伝統工芸の素晴らしさを守りつつ、現代にマッチした新しい掛け軸や額装を提案していきたい」と話す北岡さん=四日市市中部で】

四日市市中部の北岡技芳堂は、京都で表具技術を修めた祖父の故謙さんが昭和25年に創業した。平成16年、28歳で父泰一さん(69)を引き継ぎ、3代目代表になった。掛け軸の修復を主に、ふすまや障子の張り替え、びょうぶや額装作りなどを手掛け、県内を中心に全国各地からの依頼にも応じている。

四日市市で3人きょうだいの次男として生まれた。幼少時から、ひょうきんな性格で周囲を笑わせるのが好きだった。中2の夏休みに、成長痛で歩けなくなるほど急激に身長が伸び、整体院に通った。休み開けに、「背が伸びたな」「マッチ棒みたい」などとクラス中の話題の中心になれて、痛かったことなど忘れるほどうれしかった。

失敗が許されない貴重な掛け軸の修復に取り組む父の姿を見て育ち、いつのころからか「この仕事を継ぐのか」と漠然と感じるようになっていた。菰野高校卒業後は、取引業者の紹介で、大阪の老舗表具店で見習い修業を始めた。

日本画や書の掛け軸、びょうぶ、額装は、数十年から数百年後に修復しやすいように表装されており、伝統の技が職人から職人へと営々と引き継がれている。依頼された品の解体から、水に浸して裏打ち和紙を剥がし、穴の開いた部分に補修紙を入れ、新しい和紙で裏打ちをして仕上げるまで10工程余を細心の注意を払いながら修復する。「見違えるようにきれいになった」と喜んでくれる依頼主の声が何よりの励みになる。

誰も何も教えてくれず、先輩に怒鳴られながら、ベテラン職人の技を見て自力で覚えなければならない修業の日々。わずかな給金では遊びに行くこともできず、休日は美術館で作品を引き立てる表装の素材やデザインを頭にたたき込んだ。「この仕事を覚えて帰るんや」の一念で歯を食いしばって励み、表具師として7年後に郷里に戻った。

「よう頑張った」と、迎えてくれた祖母の故峰子さんと父、母孝子さん(67)の言葉が胸に染みた。父の仕事を手伝うようになり、3年後には父から代表を任された。骨董屋や茶道具店、画廊などの依頼に加え、ホームページを開設して各地からの修理も手掛けるようになった。また、名古屋市で古美術商「ギャラリー北岡技芳堂」を営む兄の淳さん(43)とも連携して互いの仕事の幅を広げている。

妻由美さんと11歳の長女沙菜さん、9歳の長男佑都君の4人家族。休日の楽しみは、長男が出場するサッカーの試合観戦。長男も長女も父親っ子でお風呂に入るのも寝るのも一緒だという子煩悩な一面も持つ。2人とも父親の仕事に興味を持ち、将来は表具師になると言う姿に目を細める。

「兄とアイデアを出し合いながら、コンクリートの打ちっ放し壁に白黒の掛け軸で和モダンの空間を演出するなど、伝統工芸の素晴らしさを守りつつ、建築様式の変化に合わせて現代にマッチした新しい掛け軸や額装を提案していきたい」と目を輝かせた。

略歴: 昭和50年生まれ。平成5年県立菰野高校卒業。同年大阪市の表具店藤枝春月入社。同12年北岡技芳堂入社。同18年県表具内装組合協同連合会入会。同20年北岡技芳堂代表就任。