-「良い地盤に、良い建物を」 幸せを生む住まい造り提唱- 「中村建設」 社長 中村公一さん

【「幸せを生む住まい造りを通して、お役に立てたら最高にうれしい」と話す中村さん=四日市市小古曽で】

 

四日市市小古曽の「中村建設」は、父の故誠次さんが大手建設会社の下請け会社として昭和33年、同市泊町で創業。同54年に父を継ぎ、平成元年に本社を同市小古曽に移転した。現在は、住む人の健康に配慮した本格木造住宅を中心に、公共工事の元請けとして店舗付き住宅などを手掛け、事業を拡大している。

同市泊町で5人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、絵を描くのが好きなおとなしく目立たない子どもだった。「日永小時代に校内コンクールで特賞に選ばれた時は、一躍脚光を浴びて戸惑ったなあ」と懐かしむ。

苦手だった運動を克服しようと中・高6年間はバレーボールに打ち込んだ。四日市高校1年生の9月、伊勢湾台風が本州を縦断し、各地に甚大な被害をもたらした。近鉄電車が止まって学校も休校になったが、水浸しになった教室や体育館の後片付けに通った。「自然災害の恐ろしさを実感した出来事だった」と話す。

長男ということで、父親の跡を継ぐことは幼いころから漠然と感じており、福島県の日大建築学科に進んだ。当時は、それまで主流だった鉄筋・鉄骨造りからプレハブ鉄骨造りへの過渡期にあり、いち早く取り組みを始めていた八幡製鉄所の東京本社を訪れて多くを学んだ。併せて、伝統の和風建築も熱心に研究した。

卒業後は大阪の設計事務所に就職し、企業の工場やアパートなどの設計に携わってきた。3年後、体調を崩した父親の意向に沿って実家に戻り、中村建設に入社。長年の施工経験から得た父親の知識を吸収しながら、時代と共に進歩する建築技法を取り入れていった。昭和54年、亡くなった父を継いで36歳で社長になった。

妻弘子さんは子どもたち3人の子育ての傍ら、経理を担当して支えてくれた。平成25年、70歳を迎えたのを機に会長に退き、3代目を託した長男がその翌年に交通事故で亡くなった。突然の別れに混乱し、落ち込んでしまったが、顧客へのアフターケアや社員とその家族を守っていかなければと、再び社長職に復帰した。

立ち直れたのは、「幸福を生む家の建て方」などの著者で、「住環境が住む人に与える影響とその感化力の重要性」を説く、故冨田辰雄氏の存在が大きかった。冨田氏の勉強会参加がきっかけで建築業を目指すようになった長男と共に、人生と仕事の師と仰いできた。

師が提唱してきた「良い地盤に、良い建物を」をモットーに、人に幸せを与える住まい造りのための学びの場を提供している。宅地選びから建築木材、間取り、家具までを一緒に考え、住む人に喜んでもらうことが長男の遺志を引き継ぐことにもなると確信した。

60代で2世帯住宅を建てた夫妻から、「息子夫婦と話し合いながら建てて10年。良い距離感が保たれ、幸福を生む住まいを実感している」、30代の共働き夫婦からは「ぬくもりのある木の香りにほっとする快適な毎日です」などの声が寄せられる。

現在は妻と長男の嫁、3人の孫たちと6人家族でにぎやかに暮らしている。「孫たちと魚釣りや山登りなどを楽しみながら、元気な成長に感謝の毎日です」と話し、「いろいろな方々との出会いを楽しみに、今後も幸せを生む住まい造りを通して、お役に立てたら最高です」と笑顔を見せた。

 

略歴: 昭和18年生まれ。同42年日本大学工学部建築科卒業。同年大阪府の設計事務所入社。同44年中村建設入社。同54年中村建設社長就任。平成29年四日市西倫理法人会副会長就任。