真の循環型社会に 環境総合企業として躍進 産業廃棄物処理・リサイクル「ウエスギ」社長 上杉圭司さん

「環境総合企業として躍進したい」と語る上杉さん=四日市市天カ須賀新町で

 四日市市天カ須賀新町の「ウエスギ」は、大正10年、官公庁の払い下げ品の回収をする個人企業「上杉利三郎商店」として同市北条町(現北浜町)で創業。昭和39年に「上杉物産」とし、同63年に現在の工業団地内に社屋を移転。平成20年、「ウエスギ」と社名変更をした。

 平成19年、会長に退いた父勝治さん(73)を継いで5代目社長に就任した。現在は、東北から北九州まで取引先を拡大し、金属、非鉄金属のリサイクル基板や電線、医療廃棄物の処理と再生活用、排水処理、総合解体など幅広い業務を手掛ける県内屈指の産業廃棄物処理企業に成長している。

 茨城県鹿島市で3人きょうだいの長男として生まれ、5歳の時に四日市に移り住んだ。小3から水泳教室に通うようになり、6年生で県大会優勝を果たした。コーチの薦めで、水泳強豪校の名古屋学院に進学した。下宿生活をしながら中高の6年間、ソウル五輪を目指して朝から晩まで水泳漬けの毎日だった。「良い成績が残せず、上には上がいることを実感したが、やりきった満足感はあった」と振り返る。

 高校卒業後、「世界に目を向けたい」と海外留学を決め、米・シアトルの大学でビジネス学を4年半かけて修めた。初めは言葉の壁で悩んだが、積極的に意志を伝えることで友人が増えていった。休みを利用して、仲間とサンフランシスコまで1900キロを走破したことも貴重な体験だった。「大学生活が楽しくて、正直、日本に帰りたくなかった」と懐かしむ。

 帰国後、ウエスギに入社。父に同行して、営業を中心に厳しく仕込まれた。「先んずれば人を制す」「時間を無駄遣いするな」など、会社だけでなく、家でも仕事の話ばかりの父に、くじけそうになりながらも必死で食らいついていった。

 平成19年、38歳で社長に就任した直後、リーマン・ショックに見舞われた。銅相場の下落によって売り上げが激減、倒産の危機に直面した。経営者として、約60人の従業員に状況を説明し「ピンチをチャンスと捉え、共に乗り越えよう」と結束を呼び掛けた。経費節減のために、父と必死になって社内改革を断行し、翌年には何とか業績を持ち直すことができた。

 その教訓から、これからは世界に目を向けなければと、思い出のある米・シアトルに進出、「ウエスギ・USA」を設立した。経営者セミナーで、県の活性化を目指す企業の若手リーダーらと交流し、自社事業の技術革新や異業種と手を組んでの事業拡大などを話し合っている。「われわれ中小企業と大企業が一致団結して、真の意味での循環型社会を構築していかなければ」と熱く語る。

 地域貢献の一環として、時間を忘れて遊ぶ子どもたちのために、どこからでも見える大時計を公園に設置したり、月2回、再生資源物の戸別回収をしたりしている。集積所に運ぶのが負担になっていた高齢者らに喜ばれている。

 「リサイクルの徹底で、最終的に廃棄物をゼロに近づけるゼロエミッションを目標に、環境総合企業として躍進したい」と目を輝かせた。

略歴:昭和45年茨城県で生まれる。平成元年―同5年米・シアトルに留学。同5年ウエスギ入社。同13年県廃棄物協会青年部初代会長。同14年全国廃棄物連合会青年部協議会中部ブロック会長。同16年全国廃棄物連合会青年部協議会副会長。同19年ウエスギ社長就任。同25年東海非鉄リサイクル協同組合理事。