海外冒険の旅が転機 「意思表示なければ進まない」 広告会社「デルタスタジオ」社長・みえ出逢いサポートセンター長 若林辰也さん

「若者の流出と少子化を防ぎ、地場産業の活性化を目指したい」と語る若林さん=四日市市安島のデルタスタジオで

 四日市市安島の大型商業施設ララスクエア四日市4階の広告会社「デルタスタジオ」は、平成23年10月に創業。子育て応援の月刊誌「みえこども新聞北勢版」製作をはじめ、映像製作、カルチャー教室、イベントの企画などを手掛けている。

 翌24年には、県が同施設内に設置していた、子どもが豊かに育つ地域社会実現のための活動拠点「みえのこども応援プロジェクト・よっかいちステーション」の運営管理を委託された。工作体験やお絵描きなど、子どもの主体的活動とそれを見守る保護者らのイベントを月6回、企画・開催している。

 同26年には、県の少子化対策の一環として、結婚を希望する独身男女の出会いを支援する「みえ出逢いサポートセンター」の運営も任された。同スタジオ内に事務所を開設して、現在、県内約700人の会員に、出会いイベント情報の収集と配信をはじめ、自分磨き講座の開催や個人相談にも応じている。

 四日市市で2人きょうだいの長男として生まれた。仕事の傍ら、消防団員として地域を守り、子どもソフトボールの指導者でもあった人気者の父親が子ども心に誇らしく、「父のようになりたい」と思いながら育った。

 四日市西高では生徒会長を務め、制服と私服の自由な選択を全校集会や保護者会で訴えて、私服での通学を可能にした。「当たり前を疑う」ことから始まり、大勢の人の意識を変えることができた大きな経験だった。

 進学した名城大学で4年になる前に、一大決心をして休学。ワーキングホリデーを利用してオーストラリア、ニュージーランドなど5か国を1年半かけて冒険旅行をした。言葉も通じない国で荷役や皿洗いなどをしながらの旅で、こちらが意思表示をしなければ何も進まないことを身を持って体験した。「旅が人生の転機になった」と振り返る。

 帰国後、復学して同大を卒業。FMよっかいちの開局に合わせて入社した。営業から制作、DJなどをこなし、33歳で取締役に就任した。大学時代の旅で、各国のテレビCMだけは、言葉の壁を越えて伝わることに強く引かれたことから、35歳で起業を決意して広告会社を創業した。

 子育てを楽しむための育児情報を発信する「みえこども新聞」の発刊により、子どもに焦点を当てた、他に類を見ない社会貢献型の広告事業を拡大してきた。

 7人の従業員には「これだと思ったら独立も大歓迎。常に自分が社長のつもりで仕事をしよう」と話す。子ども連れの出社も認め、子どもと一緒にイベントに参加したり、乳児を背負ってミーティングに加わったりと、従業員らは自由な社風の中で仕事と子育てを両立させている。

 今後は、釣り婚や山登り婚、ミカンしぼり婚など、地域資源の活用と町おこしをセットにした各市町独自の婚活イベント収集に努め、県全域に広く発信したい。「出逢いサポート事業をより充実させ、若者の流出と少子化を防ぎ、地場産業の活性化を目指したい」と、目を輝かせた。

略歴:昭和51年生まれ。平成11年名城大学商学部卒業。同26年市男女共同参画審議会委員。同27年一般社団法人四日市青年会議所監事就任。