期待以上の仕事を 必要とされる会社目指す 電気工事、空調・防災・機械設備「三重電設」社長 齋藤賢司さん

「地域に必要とされる会社を目指したい」と語る齋藤さん=四日市市生桑町の三重電設で

 四日市市生桑町の「三重電設」は、昭和44年に父英樹さん(74)が菰野町音羽で創業。菰野町庁舎や保健福祉センターなどの公共工事、大型スーパーや結婚式場、工場、住宅の新築工事に伴う電気配線工事、空調、防災設備の施工を手掛けている。

 平成21年に父から経営を引き継ぎ、同23年には福岡電機工業と合併して機械メンテナンス部を増設した。現在は、社員24人が「生きる喜びを求め、社会に安心と誠意を」の理念の下、北勢地区を中心に事業の拡大を図っている。

 菰野町で、3人兄弟の長男として生まれた。小6の時、ハンドボール経験のある父に買ってもらったハンドボールをきっかけに、それまで苦手だったスポーツの楽しさに目覚めた。父のゴルフ練習用ネットに向かって毎日投げ込みを続け、革製のボールが1年でぼろぼろになっていた。

 菰野中学から四日市高校、大東文化大卒業まで10年間、クラブや同好会でハンドボールに打ち込んだ。高2の時、キャプテンとして県大会で準優勝を果たした。「ええシュートやったな」と、初めて観戦に来てくれた父のひと言に、「鈍くさい」と言われ続けた幼いころがよみがえった。ようやく父に褒めてもらえたことがうれしくて、あふれる涙を抑えられなかった。

 埼玉県の大東文化大経済学部を卒業後、父の紹介で電機メーカーや建築設計事務所で6年間経験を積み、28歳で三重電設に入社。先に入社していた弟たちに教わりながら現場作業から始めた。その2年後に転落事故で左腕を骨折し、3カ月の入院生活を余儀なくされた。

 現場での作業が無理になり、退院後は、営業や現場管理担当として復帰し、新たに工務店の下請けとして新築やリフォーム事業に参入した。その後、元請けとして施主からの直接受注に力を注いだ。施主の希望に添って、高品質でより安価な提案ができるようになり「想像以上の仕上がり」「家を建てるときも相談する」など、リフォーム工事完成後の施主らの言葉が社員全員の喜びとやりがいになっている。

 「勤務時間内に効率良く仕事をこなす」という父の信念を引き継ぎ、残業は極力なくした。社内清掃後の朝礼は、始業に先立って仕事の段取りや伝達をする場になっている。「個々の意識の高まりが、オンとオフのはっきりとした切り替えにつながっています」と語る。

 仕事の傍ら、長年親しんだハンドボールの「走って、跳んで、投げる」楽しさを伝えようと、10年前から「元気アップこもの」の子どもたちに指導している。

 家族は、妻いづみさん(44)と1人娘かのんさん(15)、トイプードルの愛犬モコの3人と1匹。休日は、得意なパスタや炒飯作りに腕を振ったり、娘と2人でディズニーランド旅行をしたりと、家庭的なパパの顔を見せる。「娘がいつまで一緒に出掛けてくれるのか」と、唯一の悩みを明かした。

 「社員一丸となって、企業や家庭のどんなニーズにも期待以上の仕事で応え、地域に必要とされる会社を目指したい」と目を輝かせた。

略歴:昭和45年生まれ。平成4年大東文化大学経済学部卒業。同年電材問屋入社。同10年三重電設入社。同21年三重電設社長就任。同年―同22年菰野町商工会青年部長。同222年三重電業協会理事。同25年―同26年全日電工連青年部理事。