失敗恐れず攻めるべき コンピューター導入、新工法開発 松岡建設社長 松岡信年さん

「地域に密着した企業として、さらに努力を重ねたい」と語る松岡さん=川越町亀崎新田の松岡建設で

 川越町亀崎新田の松岡建設は、昭和10年、祖父の故周太郎さんが同町南福崎で土建業「松岡組」を創業。同28年に松岡建設と社名を変更し建築、土木、道路舗装などの総合建設業として、今年80周年を迎えた。

 平成11年、35歳で父耕司さんの跡を継いで社長に就任した。現在は、県内を中心に土木、道路工事、一般住宅、マンション、校舎などの公共施設建築を手掛け、事業を拡大している。

 道路の舗装と縁石の境界部分に生えてくる雑草を、ポリウレタン樹脂を塗布することで防止し、歩行者の安全と補修の手間を軽減できる「ウィードコート工法」を、地元3社と6年がかりで共同開発。昨年、国交省認定特許を得たことから、全国111社と連携して試験施工を各地で展開している。

 川越町で3人きょうだいの長男として生まれた。幼少時は、家の裏手の川や父親が経営していた釣り堀で魚釣りをするのが何より好きだった。小学校低学年のころ、想定外の大きなコイが掛かり、格闘の末引き込まれて釣り堀に落ちてしまったことがあり「今考えると楽しい思い出ですね」と懐かしむ。

 暁小、明和中(現川越中)を経て、桑名北高校1期生として入学。入部したバドミントンクラブで、朝練、昼練、夕練とコーチに鍛えられ、半年後の県新人大会でダブルス準優勝を果たした。3年生進級を前に、交換留学生としてオーストラリアの高校で1年間学んだ。

 留学先で、まず英語圏でない各国の生徒が英語を話せることに驚き、誰とでもすぐに友だちになれるオープンな性格を見習いたいと思った。多国籍の生徒やホストファミリーと触れ合う中、自分の内向的な性格を見つめ直し、「イエス・ノー」をはっきりと伝えることから、心を開いていくことを教わった。

 高校卒業後は名古屋市の大学で経済学を修め、父の跡を継ぐべく23歳で松岡建設に入社した。業務の効率化を図ろうと、コンピューター導入を父親に提案したが、「訳が分からん」と一蹴された。自分のパソコンで、営業・経理のシステムを作り、社内ネットワークを構築。再度、父親に説明すると「なぜもっと早くやらん」と怒鳴られた。翌年、コンピューターを導入して、作業効率を飛躍的にアップさせた。

 35歳で経営を任され、社員60人とその家族、協力会社の社員も含め、安定した生活を守る立場になった。「失敗を恐れてやらないよりは、果敢に攻めて失敗する方が良い。責任は全て自分が取る」の精神で、社員一人一人の意見を積極的に取り入れ、風通しの良い職場環境づくりに務めている。

 社員と家族、OB、関係者、そして会長職の父親への感謝とねぎらいの心を込めてこのほど、創業80周年の記念式典を盛大に催すことができた。

 娘3人の子育てと家庭を守ってくれる妻千夏さん(49)がいたからこそ仕事に打ち込めた。「地域に密着した企業として、さらにどのようにあるべきかを考えながら努力を重ねていきたい」と、意欲を見せた。

略歴:昭和39年生まれ。同62年名古屋学院大学経済学部卒業。平成24年一般社団法人県建設業協会四日市支部副支部長。同26年中部建設青年会議顧問。同年「ウィードコート工法協会」会長就任。