信頼される会社目指す 病の母の後継ぎ事業拡大 織詩社長 田中雅隆さん

「誰からも信頼される会社にしていきたい」と話す田中社長=三重郡菰野町で

 四日市市水沢町の織詩は、三重郡菰野町の会員制レストラン内で整体院を開業しているほか、松阪牛の通信販売事業などをしている。母親の美稔子さんが平成19年にエステ事業で起業し、現社長が2代目となって事業拡大した。

 子どものころから活発な性格で、「小学生時代の成績表には『明朗快活』の文字が並んでいた」と笑う。小学6年生の時には児童会長を務めた。スポーツも好きで、小学生の時はサッカーに励み、中学に入ると野球部で3年間投手として活躍した。

 高校卒業後は名古屋市内の大学に進学。通学に2時間以上かかったったため、2、3年生の時には1人暮らしも経験した。仕送りゼロで、コンビニの深夜バイトで家賃や光熱費などを自分で稼いだ。「昼間は学校、夜はバイトの生活が週4、5日。大変だった」と当時を振り返る。

 大学卒業後は名古屋市内の自動車部品を扱う商社に就職。子会社に出向し、営業職として、設備用の部品を納める仕事を担当した。商品の注文を受け、発注し、販売する一連の流れや商品管理の仕方など、そこで学んだ手法は、現在の通信販売業でも生かされている。

 5年ほど勤務し、母親の仕事を手伝うために退職。当時はエステ事業をしていた織詩に、事業拡張のため入社した。入社後は整体の理論や技術を学びながら、整体師として経営にも携わるようになった。

 ちょうどそのころ、母親が病で倒れた。一命は取り留めたものの、職場復帰のめども立たず、全てが自身の肩に。「右も左も分からない状態で、がむしゃらにやるしかなかった。1年くらいは忙し過ぎて記憶がない」

 何かと支えてくれた2歳年上の姉、麻衣子さんの存在は大きい。

 自宅療養中の母親からアドバイスをもらいながら、4年前に社長を引き継いだ。

 社長就任後も特に仕事内容が変わることはなかったが、「肩書きが変わったことはうれしかった」と笑う。

 新規事業として、インターネットによる松阪牛の通信販売を始めた。2年目になり、口コミで評判が広がり、少しずつ手応えを感じている。「扱う商品が違うだけで、営業時代の経験が役に立っている」

 本職の整体師としての腕も確かで、常連客も多い。「整体とマッサージは違う。整体は骨格を矯正し、マッサージは筋肉をほぐす」と話し、的確に相手の痛みが取れるよう施術する。

 社長業にもずいぶん慣れ、少し気持ちに余裕も出てきた。「心掛けていることは、顧客の立場で物事を考えること。基本を大切にして、誰からも信頼される会社にしていきたい」と将来の抱負を語った。

略歴:昭和56年生まれ。四日市市出身。平成21年織詩入社、同23年社長就任。