他にない新製品提供を テレビ、映画の美術分野にも進出 日本ケミカル工業社長 湯前昭彦さん

「発砲スチロールの可能性を追求し続けたい」と話す湯前さん=四日市市桑町の日本ケミカル工業で

 四日市市生桑町の発泡スチロール製品メーカー「日本ケミカル工業」は、昭和38年、同市川原町で輸出用万古焼問屋「湯前陶器」を営んでいた父の故勉さんが創業。同43年に社屋を生桑町に移転した。平成20年、会長に退いた父を継いで社長に就任した。

 創業当時は、需要に応じて日本人形の胴体の芯や釣り道具のウキなどを手掛けていた。その後、軽量で加工が容易にでき、緩衝性、保温・保冷性に富んだ発泡スチロールの無限の可能性に着目。産業用緩衝材や保冷保温容器、建築外部装飾用部材、ビーズクッションなど、時代のニーズに先駆けて新製品を次々と開発し、業績を伸ばしている。

 近年は、テレビドラマや映画の大道具、舞台美術の分野にも進出。昨年、映画化された「ウッジョブ」のクライマックスシーンに使われたスギの巨木の芯を提供した。公開された映画を見て、映画会社の美術スタッフの手で本物そっくりに仕上げられた巨木が滑落する迫力に圧倒された。

 昭和37年、同市川原町で生まれた。幼いころの楽しみは、夏休みの家族旅行と、製品を納めに行く父のトラックの助手席に、時々乗せてもらうことだった。また、輸出用カタログの色鮮やかなクリスマス飾りやハロウィーンのカボチャに、当時、見ていた米コメディー「奥様は魔女」の場面を重ね、憧れを膨らませていた。

 西橋北小、橋北中から四日市高校に進んだ。高校では、部員わずか5人の映画研究部に所属した。進学した早稲田大学で、文学部修士課程を修了。勉学の傍ら、演劇や古典芸能の歌舞伎、能楽の奥深さに魅了され、安いチケットを入手しては、同校の仲間らと出掛けていた。中でも、野田秀樹の劇団「夢の遊眠社」の舞台や中村歌右衛門が演じる歌舞伎「京鹿子娘道成寺」が好きで、何度も通った。

 卒業後は、「修業してこい」という父の勧めで、都内の経営コンサルタント会社に就職。企業向けや新事業開拓セミナー、経理マン養成講座などの企画から、テキスト作成、司会もこなすなど、2年間経験を積んだ。

 平成2年、日本ケミカル工業に入社。まず、工場で機械の取り扱いや調整、生産計画などを学び、次に事務、営業など業務全般を研修した。経営を任されるようになって、創業者として、一貫した信念を持って事業を発展させ、社員を守ってきた父の偉大さを実感できるようになった。

 朝礼では、社員80人を前に「どんな作業にも改善点はある。どうやったらもっと効率良く、ミスを防げるかを考えることが大切。昨日と今日は違う」と講話する。「発泡スチロールの可能性を追求し続け、他に無いものを提供して顧客の満足を得ることが、社員とその家族の幸せを守り、社会貢献につながると思う」と語った。

略歴:昭和37年生まれ。同63年早稲田大学文学部修士課程修了。平成2年日本ケミカル工業入社。同27年四日市商工中金ユース会会長就任。