仏料理の奥深さに魅了 社会貢献にも力を注ぐ 「グリル四日市」オーナーシェフ 丹羽則夫さん

「今後も社会貢献に力を注ぎ、少しでも恩返しをしていきたい」と話す丹羽さん=四日市市安島のグリル四日市で

 四日市市安島の市文化会館内レストラン「グリル四日市」は、昭和57年に創業。平成3年、前経営者らを引き継ぎ、33歳でオーナーシェフに就任した。地産地消の食材にこだわり、故郷の鳥羽市から新鮮な魚介類を取り寄せ、安心価格で地域に密着したサービスをモットーに腕を振るっている。

 作品展示や会議、コンサート、観劇など、同館利用者を中心に、多いときは500人、平均して1日250人ほどの来店客を、厨房(ちゅうぼう)と接客スタッフ11人でもてなしている。「昔ながらのイタリアンスパゲティを食べたい」「みそかつはないの」などの要望を受けて次々とメニューを増やし、日替わりランチをはじめ、丼物、麺類、パスタなど約40種の料理を提供している。

 鳥羽市相差町で4人きょうだいの末っ子で次男として生まれた。父は造船会社に勤務する傍ら、海女の母と漁に出ていた。忙しい両親に代わって祖父母がきょうだいの面倒を見てくれた。小学時代の思い出は、「早朝から浜でワカメを干すのを手伝ってから登校したこと、6年間無遅刻無欠席で表彰されたこと、飼っていたタカやハトなどの世話が楽しかったことかな」と振り返る。

 中学校では野球部に入って練習に打ち込んだ。高校進学の希望はあったが、卒業後は、定時制高校通学を認めてくれた四日市市の製陶会社に就職を決め、家族と離れて生活するようになった。

 製陶会社で2年間働いた後、手に職を付けたいと思うようになり、見習いコックとしてレストランで働き始めた。昼間は下ごしらえと皿洗いをしながら、先輩らの調理技術を見て覚え、夜は眠い目をこすりながら定時制高校に通い続け、5年かけて卒業証書を手にした。

 6年間の修業で、先輩コックらと肩を並べられるようになったことで自信を持ち、県内外のフレンチ料理店、ステーキハウスやピザ専門店、結婚式場の宴席料理店など6店舗で各店のこだわりと素材の見分け方などを習得した。26歳でグリル四日市に入社し、以前の6店と同じように皿洗いから始めたが、実力を認められて2年後に料理長に昇格した。

 7年前からは、北勢地区の障害者支援施設利用者らを招いて、所属する全日本司厨士協会四日市支部会員らとクリスマスのフルコースディナーを振る舞っている。東日本大震災発生直後には、友人と共に食材と道具一式を車に積み込んで出掛け、被災者らに炊き出しをした。現場の要望を直接聞き取り、昨年まで3年間続けて仮設住宅に暮らす人々を、四日市名物「とんてき」などの温かい食事で励ましてきた。

 食べることも作ることも大好きだったから、あれもこれもさまざまなジャンルの料理を知りたかった。中でも素材を美しく、よりおいしく、繊細に演出するフランス料理の奥深さに魅力を感じたと話す。平成17年には、フランス料理最高栄誉称号を受け、日本エスコフィエ協会正会員となった。

 15歳で見知らぬ四日市に出てきて42年。「つらかった下積み時代を乗り越えられたのは、理解してくれる人との出会いと多くの友人に恵まれたおかげ。今後も社会貢献に力を注ぎ、少しでも恩返しをしていきたい」と語った。

略歴:昭和33年鳥羽市で生まれる。平成3年グリル四日市社長に就任。同17年フランス料理最高栄誉称号「ディシプル・ドーギュスト・エスコフィエ」授証。同21年「全日本司厨士協会名誉司厨士の証」授証。同年同協会四日市支部幹事長就任。同22年四日市地区調理師協会理事就任。