介護は人が全ての仕事 人間らしく生きるための支援を 介護事業「センチュリークリエイティブ」社長 湯浅幹之さん

「与えられた人生の中で、力を出し切りたい」と語る湯浅さん=桑名市大央町で

 桑名市大央町の「センチュリークリエイティブ」は、父の故益司さんが昭和57年に創業した水道設備会社「ユアサ設備工業」が前身。その後、葬儀社向けのギフトを取り扱う「日本茶研」に移行し、平成12年に施行された介護保険制度を受けて「センチュリークリエイティブ」と社名変更をして、介護福祉事業に乗り出した。

 「人が、より人らしく生きるための支援」を合言葉に、介護福祉士や社会福祉士、理学療法士らを中心に約150人のスタッフが働いている。現在は、住宅型有料老人ホームやサービス付高齢者向賃貸住宅、グループホーム、デイサービス、福祉用具の販売・貸与に事業を拡大し、直営10施設に加え、委託運営4施設を東海3県に展開している。

 奈良県で2人きょうだいの長男として生まれ、自然豊かな環境の中でクワガタを捕まえたり、川遊びをしたりして育った。小5の時、父親が事業を興す地に選んだ桑名に家族4人で移り住んだ。野球に夢中だった小中時代、疲れて帰宅すると家庭教師が待っていた。教育熱心な父親への反発から勉強が嫌いになり、高校の3年間も遊んでばかりだった。

 京都の大学に通っていた20歳の時、車の事故で大けがを負った。顔面粉砕骨折という絶望的な状況の中で、生かされていることと両親の深い愛に感謝する思いが湧き上がってきた。退院後は、自分の可能性を見いだそうと米国への語学留学を決め、2年半学んだ。

 帰国後、大阪の経営コンサルタント会社に就職した。その1年後、父が病に倒れたという知らせを受け、桑名に戻った。亡くなった父に代わって、社員の生活を守っていこうと決意した。全く知識のなかった贈答品について、父を支えてくれていた社員に教わりながら、がむしゃらに働いた。「今思えば、父を継いだこの時が人生の転換期だった」と振り返る。

 介護保険制度施行に伴い、平成12年から介護福祉関連事業に参入した。介護用品の販売と貸与の「ファミリーケア」桑名店を手始めに、父の別荘だった名張市のログハウスを改装してグループホーム「あみーご奈垣」として開設するなど、各地に事業所を増設。地域密着型の施設を目指して今年9月、四日市市に有料老人ホームをオープン、来春には、岐阜県大垣市にも開設を予定している。

 妻あかねさんと2歳になる長男の3人家族。待望の尚英君が生まれてからは、帰宅時間が早くなった。「パパと呼ばれるうれしさとともに、父親としての責任と自覚が芽生えてきた」と目を細める。

 「介護事業は人が全ての仕事。サービスを受ける利用者と提供するスタッフが共に喜びを感じ、幸せになってもらえたら最高」と語り、『天命を知り、運命に挑戦し、使命に燃える』を座右の銘に、「与えられた人生の中で、力を出し切りたい」と目を輝かせた。

  

略歴:昭和46年奈良市で生まれる。平成5年―7年米国語学留学。同8年「日本茶研」入社、社長就任。同18年「センチュリークリエイティブ」に社名変更。同28年名古屋平成ライオンズクラブ幹事。