事故防止の技術追究 新しい分野で挑戦したい 自動車鈑金(ばんきん)・塗装「谷崎自動車」社長 谷崎途哉さん

「新しい分野で可能性に挑戦したい」と語る谷崎さん=桑名市蛎塚新田で

 桑名市蛎塚新田の自動車鈑金・塗装「谷崎自動車」は昭和44年、父の故忠郎さんが母あい子さん(69)と創業した。高度経済成長期は、ダンプカーやタクシー、オート三輪などの業務用車両の修理で繁忙を極めたが、現在は、個人の乗用車が主となっている。

 父忠郎さんが亡くなった平成26年、経営を引き継いだ。近年の若者の自動車離れに加え、衝突防止装置搭載車の普及、これまで修理を外部委託していた新車ディーラーが、自社で修理部門を持つようになったことなどで仕事量が激減した。そのため、新たに新車・中古車の販売や車検、事故車の買い取りに力を入れるようになった。

 桑名市で3人きょうだいの末っ子で長男として生まれた。幼いころは、自転車で転んで頭を10針も縫うけがをしたり、庭石を飛び損なって竹垣の竹が左脚に刺さって大けがをしたりと、生傷が絶えずいつも母親をはらはらさせていた。

 軟式野球に打ち込んだ中学時代を経て、四日市市の海星高校に進学したが、早く社会に出て働きたいという思いが強く、1年で中退。実家を離れ、愛知県の鈑金工場に就職した。納期に追われ、睡眠時間2―3時間という過酷な毎日にくじけそうになりながらも、傷やへこみを手作業で元通りにする鈑金の仕事に、喜びとやりがいを感じるようになった。

 4年間腕を磨き、一人前の鈑金職人として自信を持ったころ、父忠郎さんが体調をくずしたという知らせがあり、実家に戻った。従業員らと協力して、滞っていた仕事を片付けていった。入退院を繰り返す父に代わって、父がこれまで築いてきた顧客からの信頼を維持し、従業員の生活を守っていこうと決意した。「高校だけは卒業してほしい」という両親の期待に応えられなかったという思いから、32歳の時、一念発起して大学入学資格検定に挑戦し、合格した。

 平成26年、亡き父を継いで社長に就任。長年、父を支えてきてくれた熟練職人の高齢化が進む中、3K(きつい・汚い・危険)と敬遠される自動車修理の働き手の確保は難しかった。

 世界情勢を学び、ミャンマーへの自動車輸出を視野に、現地で自動車修理の技術習得を希望する若者を募り、今年3月から実習生を受け入れるようになった。母国で活躍する希望を胸に、実習生らは熟練職人に教わりながら技術を身に付けている。

 家族は、妻由美さん(44)と高2の長男、中3の長女、小6の次女、小3の次男の6人。子どもたちが幼いころは、仕事が忙しく家に居ないことが多かったが、最近は家族旅行を楽しむ機会も増えた。上3人と違い、9歳の末っ子だけは車に興味津々で、特に重機やトラックが修理に入ると、毎日やって来ては飽きずに眺めている。「流行のゲームに無関心で友達とうまく付き合えるのか心配でもあり、うれしい気持ちもあり、父親として複雑ですね」とほほ笑む。

 「今後は、事故を未然に防ぐためのプロの技術を追求するとともに、車検と新車販売、トラックの全塗装、貿易へとシフトし、新しい分野で可能性に挑戦したい」と目を輝かせた。

略歴:昭和50年生まれ。平成9年運輸大臣認定車体整備士資格取得。同19年大学入学資格検定合格。同20年日政連簿記2級取得。同26年谷崎自動車社長就任。