あられ作り日々模索 辛抱した修行、結婚機に独立 西川製菓代表 西川忠男さん

「あられ作りが好き」と話す西川代表=鈴鹿市土師町の西川製菓で

 鈴鹿市土師町の西川製菓は、あられやポン菓子などの米菓を製造、販売している。商品は店舗のほか、鈴鹿農協を通じて市内を中心に販売している。

 農業を営む両親の下、9人きょうだいの7人目として生まれ育った。「学校から帰ってくると、田んぼの手伝いをすることが多かった」と思い返す。「おかげで食べる物にはあまり苦労せずに済んだ」と笑う。米作りは、常に身近な存在だった。

 子どもの頃から物作りが好きで、手先も器用だった。

 中学卒業後は、兄の勧めで名古屋市のあられ製造店で修業をした。12年間、見習いとして住み込みであられ作りの技術を身に付けた。「毎朝4時や5時から起きて、掃除や仕事の準備から始まる。休みは月に2回、半日だけ。技術だけでなく『辛抱』など、生きていく中で大切なことを学んだ」と当時を振り返る。「初めの頃はつらくて逃げ出して、何度か実家に帰ってきたこともあった」と話し、「翌日、兄に送られて店に戻るのだけど」と打ち明ける。「働くことは好きだったが、田舎で育ってあまり他人との話し方や接し方も分からず、人間関係が1番大変だった」

 「いつかは自分の店を持ちたい」という思いを抱きつつ、慎重な性格ゆえになかなか踏み切れずにいた。

 転機は29歳の時。結婚を機に、妻の両親から商売を始めるよう勧められたのがきっかけで、思い切って実家の一部を使って西川製菓を立ち上げた。ゼロからのスタートは不安もあったが、「やると決めたらやる」。資金も十分ではなかったが、中古の機械を買い、兄にもずいぶん協力してもらった。

 この地域には各家庭で自分たちが食べる1年分のあられを作る風習があり、初めの頃は取引先もなく、近所のあられ作りの加工を手伝うことが多かった。

 5年ほどかけて試行錯誤を重ねながら、地域の味を再現したのが「田舎あられ」。自身が作ったあられの中でも代表作で、1番のヒット商品。今でも根強いファンが多い。

 「昔は田植えのおやつに、お茶漬けにして食べたりもした。少し塩や塩昆布を入れて、お茶を注いで食べるとおいしい」と話し、「お茶漬けにしても合うように、エビやカレー、ノリなどを練り込み、塩味でさっぱりと仕上げた」と笑顔を見せる。

 こだわり続けたのは「味」。あられ職人として、「みんなが好む味をいかに作るか」を日々模索してきた。地元産のコウナゴやハナビラダケを使ったものなど、常にアンテナを高く持ち、数多くの商品を生み出した。

 「ここまでよくやってきた」としみじみ半生を振り返る。「自分で作った物を認めてもらって、買ってもらえるのはうれしい」。あられ作りの魅力は「常に思うようにはいかないところ。予想外の結果に仕上がったりするのも面白い」

 「仕事一筋できたから趣味なんて何もない」と笑うが、「あられ作りが好き」と見せる表情は、いきいきと輝いていた。

略歴:昭和10年生まれ。鈴鹿市出身。同40年西川製菓創業。