『皇族も愛する元祖伊賀くみひも工房』 第1回 元祖伊賀くみひも 廣澤徳三郎    3代目 廣澤徳三郎氏

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【ヘラを使って一本一本丹念に紐を組み上げていく3代目廣澤徳三郎氏】
Q.伊賀くみひもの成り立ちと創業者について教えて下さい。

(廣澤)
 伊賀くみひもは元々藤堂高虎が参勤交代の際に江戸から伊賀に組紐の技術を持ち帰ったことが始まりとされています。
 その後明治の廃刀令を機に一旦その技術は途絶えましたが、帯締めとして江戸で復興してきた組紐の技術を、当時江戸に奉公に出ていた初代廣澤徳三郎が修得し、伊賀に戻って工房を開業したことで、本格的に伊賀に産業としての組紐が始まりました。
 初めは徳三郎とその親類のみで工房を経営していましたが、関西で高麗組の技術を持っていた職人がほとんどいなかったこともあって、京都、大阪の問屋を中心に取引をすることで店は序々に繁盛していきました。
 そうしている内に初代徳三郎の弟子達が地元で独立開業していき、伊賀は組紐の産地となりました。
 それでも京都の問屋から発注を受け、工賃制で制作されていた組紐は「京組紐」として出荷されており、伊賀組紐としてはあまり知られていませんでしたが、昭和48年、伊賀上野を舞台にした映画「忍ぶ糸」公開を機に、「伊賀くみひも」として認知されるようになりました。
 その中で、昭和54年と平成6年2代目徳三郎の時代に、徳三郎とその妻が、勲6等瑞宝章と勲7等宝冠章を続けて受賞し、「伊賀くみひも」の地位を全国的に高める貢献をしました。

Q.伊賀くみひもの工程や材料について、特徴的なところを教えて下さい。

(廣澤)
 伊賀くみひもの工程は糸繰り、へい尺、撚掛け、染め出し、切断、組み出し、房付け、けやき、ころがし、湯のし、房巻きと、多岐にわたります。これらを全て手作業でこなしますので、かかる手間は相当なものです。
 組紐を作るには「台」と呼ばれる器具(写真参照)を用い、組むものによって「高台」「丸台」「角台」「綾竹台」の四種類の器具を使い分けます。これらを駆使し、糸と糸の組み合わせで柄を出していくわけですが、この元を作る綾書きを作成し自在に組める職人ともなると、伊賀でも数えられるほどです。それほどに高度な技術が必要な工芸なのです。熟練した職人であっても、帯締めを一つ作るのに3日はかかります。

Q.3代目になる徳三郎さんが跡を継がれた時のエピソードを教えて下さい。

(廣澤)
 私は親に跡を継ぐことを強いられたわけではなかったので、組紐の仕事に必要な基盤である絵心や、習字などを学ぶことなく育ちました。しかし高校卒業後、この仕事に就くことを決め、2年間実家以外の工房で修業し、戻って親についてこの仕事を始めましたが、両親から細かく指導してもらうことはほとんどありませんでした。
 良い組紐を作る技術は教えられるものではなく、自ら経験を重ねて作りあげていくもの≠ニいうのがその理由ですが、その技術を身に付けるために母親の組紐作りの「音」を熱心に聴き、その音に近づくように練習したのを覚えています。

Q.この仕事をされていて、どんなところに魅力を感じますか。

(廣澤)
 やはり自分で考えた柄を組み上げて、作品が完成した時に一番喜びを感じます。
 組紐は必ず着物と関係して来ますので、その年にどんな着物が市場に出ているかを常に把握していなければいけません。その上で毎シーズン二十柄程のサンプルを制作しますが、実際に製品になるのは三柄程です。それだけ苦労して作り上げるものなので、完成した時にはこの仕事をやっていて良かったと感じます。それが魅力ですね。

Q.現在伝統的工芸品の危機が叫ばれていますが、伊賀くみひもを取り巻く環境にはどういった課題がありますか。

(廣澤)
 最近では中国から安価の製品が輸入されてきて、しかも私達が作っているものと同じ柄のものが出回ることもあるので、厳しい状況になっています。
 それでも、中国製のものと伊賀くみひもとでは、風合いや締め心地に違いがあります。ただ、中々それが伝わらない。着物を着る人が少なくなったということもあって、皆さんが帯締めに接する機会が減ったことも関係していると思います。

Q.伝統工芸を通じて若い人達に伝えたいこと、そのために試みていることはありますか。

(廣澤)
 伊賀くみひもが今後も続いていくために、もっと伊賀くみひものことを知ってもらいたいという思いから、お店の改築を機に実演コーナーを設けました。実際に作っているところを観て頂ければ、この技術がいかに優れていて、価値のあるものかが分かってもらえると思ったからです。実際実演をやり始めてから、お店に来て頂いた方には好評で、伊賀くみひもの良さが伝わっているように思います。この活動を通じて、若い人達が一人でもこの技術を修得してくれるようになればと願っています。
 また、実際に続けていくためには商売の形も変える必要があるかも知れません。創業当初から東京や京都に組紐を販売してくれる問屋は私達にとって重要な存在でしたが、現在はインターネットの普及によって、問屋を通さずとも全国の皆様に商品をお届けできるようになりました。そういったものも利用しつつ、今修業に出ている娘婿が戻って来た時、この商売でちゃんと生活ができるようにしたいですね。


<平成21年11月17日(火)更新>
  
プロフィール

氏名:廣澤徳三郎

年齢:63歳

所在地:伊賀市上野西大手町3635−1

出身地:伊賀市



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