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 ― 伊勢・桑名が生んだ常勝将軍 立見鑑三郎尚文―

 明治38年(1905)年――。
まだ焦げた臭気の漂う鉄嶺の駅。火を放たれて屋根の殆どを焼け落ちた駅舎が、慌ただしく撤退していったロシア軍の狼狽ぶりを物語っていた。

 一人の日本の将帥がプラットフォームに姿を見せる。警備にあたっている将兵が、踵を揃えて捧げ銃の姿勢をとった。
立見尚文大将――伊勢・桑名が生んだ常勝将軍。

 幕末の戊辰戦争と西南戦争、明治の文明開化。そして日清・日露戦争。近代日本を駆け抜けた東洋最強の将軍「立見尚文」。彼の人生を語るには、幾多の偉人が必要だ。
常勝将軍・立見尚文の全生涯がいま明かされる。

「常勝將軍 立見尚文」


 序章

 明治三十八(一九〇五)年三月下旬――。
  まだ焦げた臭気の漂う鉄嶺(てつれい)の駅は、火を放たれて屋根の殆ど焼け落ちた駅舎が、慌ただしく撤退していったロシア軍の狼狽(ろうばい)ぶりを物語っていた。破壊できなかったシベリア鉄道の路線が遠く北へ続いており、その彼方には数十万のロシア将兵が、今も反撃の機会を窺っているはずだった。

 一人の日本陸軍の将官がプラットフォームに姿を見せた。警備に当たっている将兵が、踵(きびす)を揃えて捧げ銃をする。軽くそれに応じた立見尚文(たつみなおふみ)中将は、幕僚たちと中央部へと進んだ。そのあたりにはもう一人の将官――秋山好古少将がいて、彼を見つけると足早に歩み寄り敬礼した。

 「よくここまで来たものだと思う」
  と、立見は感慨を込めてポツリと漏らす。
  「本当にそうです。よく勝ち続けてこられたと」
  秋山も感無量といった面持ちで応じた。一度でも大敗を喫したらそれまでという戦争で、続けさま勝ちを収めてきたことに対する、彼なりの本音から出た感想であった。


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【筆者紹介】
柘植久慶(つげ ひさよし)
 1942年 愛知県生まれ。
慶應義塾大学法学部卒業。在学中よりコンゴ、アルジェリア等で軍事経験を積み、70年〜73年までラオス・ヴェトナム戦争にも従軍。86年より文筆活動に入る。経験に裏付けられた迫力ある戦闘描写は絶品。

平成18年3月28日 三重県桑名にて、 作家・柘植氏、桑名市長、伊勢新聞社社長が鼎談

伊勢が生んだ陸軍大将、立見尚文(1845〜1907年)の歴史小説「常勝將軍 立見尚文」が4月から本社紙面で連載されるのを前に、同小説の作家、柘植久慶氏と伊勢新聞社社長が28日、桑名市桑名の六華苑を訪れ、水谷元市長と鼎談した。

 立見尚文は、伊勢・桑名軍を率いて連勝した戊辰戦争をはじめ、西南戦争、日清戦争、日露戦争といった幕末から明治の全戦争に参加。指揮を執った戦場ではすべて勝利を収め、近代日本を駆け抜けた東洋最強の将軍といわれている。

 鼎談で、水谷市長は「立見尚文の名は世の中にあまり響いていなかったので、(小説の連載が)実現してうれしく思う」と歓迎。伊勢新聞社社長は立見将軍を「日本国のために逆賊の汚名をきせられながら立ち向かっていった人」と述べ、柘植氏は「戦術、戦略のどちらにも優れていた不世出の人物」と称した上で、「一度や二度落ち込んでもくよくよするなと、読んだ人たちに元気や勇気を与えられるような内容にしたい」と連載小説を紹介した。

 水谷市長は、「桑名を観光という視点で発信する機会につながれば」と抱負を述べ、伊勢新聞社社長は、立見将軍の存在を歴史ファンに知っていただきたい」と述べた。

 作家であり軍事評論家の柘植氏は、愛知県出身。昭和45年からラオス政府軍の格闘術教官として対ゲリラ戦を指揮、ベトナム戦争の経験を経て、昭和60年から作家活動をスタートした。著書に「日露戦争名将伝」「名将たちの戦場」など多数の戦史や歴史小説がある。

 小説「常勝將軍 立見尚文」は現在、伊勢新聞紙面において連載中だ。


  【立見尚文大将について鼎談する(左から)伊勢新聞社社長、柘植氏、水谷市長=桑名市の六華苑で】




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