’05 「求む平成日本の曾国藩 見事やりぬけて引退」

ポンペイの遺跡にて

 三重県民の皆さま、新年明けましておめでとうございます。

 元旦号で皆さまにごあいさつするのは私にとって十回目となる本年でございます。
この十年、日本は経済のハード・ランディング(衝突)を避けてソフト・ランディング(軟着陸)を目指してまいりました。
しかるに、このままではクラッシュ・ランディング(破滅)の途上にあるという識者もおみえなのが、日本経済の昨年までの姿でした。
この十年、日本経済については慨嘆ばかりの、意気あがらぬ新年のあいさつでありました。

 ■国が滅びる時

 堺屋太一氏は国の体制が崩壊するのは二つの場合に限られると書いています。一つは「治安が守れなくなること。その極限は敵に占領されること」、もう一つは「国を支配する階層の文化が国民に信じられなくなること」だそうです。
現在の日本に当てはまると思われませんか。外国人の強盗団が夜な夜な出没し、老夫婦を粘着テープでぐるぐる巻きにして、しばしば窒息死に至らしめ、多額の金品を強奪して去る事件が横行しているのが日本の治安の実情です。年金制度が実質的に崩壊しているのではないかという国民の不安をよそに、政府は公務員の年金共済制度は安全地帯に置いて、国民年金をはじめとする民間年金の掛け金値上げと、給付削減で崩壊を食い止めようとしています。老齢化が進む国民は(私もその一員ですが)効果のほどはいかんと、固唾(かたず)をのんで見守っています。不信だが信ずるしかないという疑心暗鬼半分で。

 私が昨年読んだ書物の中で、愉快だったのは講談社現代新書の「中国の大盗賊・完全版」という書です。以前にも少し述べたことがありますが、正月にあらためて紹介させてください。著者高島俊男氏は中国文学者であります。碩学(せきがく)とお呼びするのにふさわしい方で、畏敬(いけい)しています。故宮崎市定氏と高島俊男氏のおふた方の書は私の座右の書であり、枕頭の書であります。

 長年の研究生活と浩瀚(こうかん)な読書量を背景に、地位・名誉から離れた姿勢をもって、歯に衣着せぬ論理で完膚なきまでに似非(えせ)学者をたたきのめす、氏の文章の小気味よさ、歯切れのよさは、週刊文春に連載中で、読書人のファンも多いことはご承知の通りです。

 この書は序章として「盗賊」とはどういうものかと定義しています。
「官以外の、武装した、実力で要求を通そうとする、集団」だそうです。
さて、氏の指摘する「中国の大盗賊」とは以下の方々です。

第一章 元祖盗賊皇帝 ― 陳勝・劉邦
第二章 王座に登った乞食坊主 ― 朱元璋
第三章 人気は抜群われらの闖王 ― 李自成
第四章 十字架担いだ落第書生 ― 洪秀全
第五章 これぞキワメツケ最後の盗賊皇帝 ― 毛沢東

 この本は一九八九年に元版が出ています。特筆すべきは第五章が大幅に削られていたということです。著者の文を借りれば、  「元版が出た当時はまだまだ、社会主義の未来を信じ、したがってその先進国たる『社会主義中国』を支持する人も多かった。  中国を否定的に見ることに対する反発感情も強かった。
出版社としては、この本の中国共産党部分はなるべくトーンを下げ、比重も小さくしたかったのであろう。」
ということです。

 この書でも第五章が現代史でもあり、非常に面白いです。
堺屋太一氏も著作で述べられていますが、毛沢東のやったことはマルクス主義でも何でもありません。明の朱元璋のやり方をまねた、農民を味方につけたら政権を取れる方法をなぞったものです。中国は人民の八割が農民だったのです。

 ソビエト共産党が批判したのもむべなるかなです。社会主義革命でなく、梁山泊的三国志的革命なのですから。
高島氏によればこれらの大盗賊に欠かせないものが、人民を承服させるための各種宗教であったということです。

 「紅巾賊」の弥勒教・白蓮教、「黄巾賊」の太平道(道教の一派)、「太平天国」のキリスト教、「共産党」のマルクス主義もこれに類するものと言ってよいと述べておられます。
「実際共産党は、マルクス主義を信仰せよと常に呼びかけていた」
かつては上記のことを言うと、殴りかかられたものです。狂信者は怖い。講談社も削るはずです。

 ■曾国藩とは誰か

 さて曾国藩ですが、不思議なことに毛沢東や蒋介石も高く評価しています。彼は中国清代末期の政治家・文人・軍人です。一八一一年生まれで二十七歳で進士となっています。湖南省湘郷県の出身。弱体化した満州八旗・緑営軍に代わり、民兵の私兵団湘軍を組織し、太平天国軍を打ち破ります。弟、曾国荃は太平天国の首都天京(南京)を陥落させ、太平天国を滅亡させます。

 清国を救った英雄としての功績と軍事力の強大なことに、政府は警戒します。事実、この際清王朝を倒し、漢人の曾王朝を樹立すべしと説いた知恵者もいました。曾国藩の非凡なことは戦の帰趨(きすう)を知り始めた時から引退の準備を始め、軍を解散させ始めたこと。部下の昇進を図り、李鴻章らを育成したことです。「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる」の危機を乗り切ったのです。
曾国荃は南京で約一カ月にわたり大略奪を行いました。
高島氏は後述するようにこの放火・大略奪を非難しますが、兵たちは富・財宝に大満足したから解散に応じたのかとも思います。古来、戦の後で、恩賞に不満で、兵が将を殺すことは多いのです。現役軍人を予備役に編入するのは至難の業です。

 曾国藩はすべてを鮮やかにやりぬけてさっさと引退して田舎に引っ込んだのです。大いに評価するところです。スケールの違いはあれど、いたずらに長期政権を担う知事・首長の多い昨今と比較して。
本書の最後に高島俊男氏はこう書かれています。

 「太平天国の十数年の戦争というのは、これをせんじつめて言えば、新興宗教の教祖が作った共産主義的国家と、それに対抗するために大学者官僚が独力で作った一大軍閥との戦いである。」
「彼らは何を争ったのか。もちろん権力である。野心家洪秀全は、国土を潜窃(せんせつ)、国権を傾覆して新王朝を打ちたてようとし、満州皇帝の「奴才」(もしくは「忠臣」)たる曾国藩は、既存王朝の権益を守って死力を尽くした。

 洪秀全を偉大な農民革命家などというものはもとより滑稽(こっけい)極まるが、曾国藩を聖人みたいに祭り上げるのもばかげている。
「『人民を塗炭の苦しみより救う』といったたぐいの文句は双方の文書や宣伝にチラホラ見えるが、そんなものは史上あまたの権力者や盗賊が用いならわしてきた空疎な口頭禅に過ぎない。
どちらの人民が味方などという話では、はなっからないのである。」

 これが自由民主党と民主党の話ではないことを願うばかりです。
日本は最後の社会主義国であるといわれています。しかも日本人の誰一人として、心底は社会主義の未来を信じていないとも。誰も信者がいない宗教が存在し続けることはできるのでしょうか。

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