西郷隆盛と日本人~第二の敗戦と再生に思う~

  2年ほど前から西郷さんのことを思い浮かべるようになってきました。
小社の東京支社には、少しの間ですが縁あって、西郷さんの孫娘に当たる方が勤めていただいていました。「偉人・有名人の親族には2つのタイプがある。七光りを利用するタイプと徹底的に隠すタイプである。」という言があります。この方は後者のほうでありました。 彼女とは31年前の大学1年生のときからの知りあいで、共にフランス語クラスで肩を並べ、サルトルの「実存主義とは何か」とかカミユの「ペスト」の一節を訳したものでした。30年後、西郷隆盛の縁戚とわかってしばらくしてから、恐る恐る尋ねました。(彼女が嫌がるのは明白でしたから、しかしジャーナリストの端くれとして尊敬する大先達の孫と話す機会が会って言及しないわけに行きません。)

  「親族から見た西郷さんてどんな人ですか。」
「あのじいさんは色好みだった。」

  これを聞いて私の顔は真っ赤になりました。親族のてれがあってそういう発言になったのでしょうが、南洲翁を生涯敬愛した、弊社の前社長がこれを聞いたら、さぞかし怒ったことでしょう。
「君だからこそそんなせりふが吐けるんだよ。」と応酬するのがやっとでした。
あとで西郷さんのことを考えてみればみるほど、不思議なことが次から次へと出てきます。彼のことを考えることが、日本の再生を考えるのに大きな役割を担ってくれるのではないかと信じて、列記してみます。

  1.西南戦争で逆臣となったにもかかわらず、西郷ほど
日本人に愛される人物はいない。大西郷と呼ばれ、
代表的日本人と仰がれるのはなぜか。
2.明治維新、回天の中心人物でありながら、一生
富貴を望まなかった無欲無私にして温情の人。
3.まれに見る高潔さと比類の無いスケールの大きさ
4.敬天愛人・公平至誠の西郷にはすべての人が心服した
5.悲劇的な最期

  小生の子供時代には田舎の家を訪れると、西郷さんの肖像画が掲げられていることが散見されました。これも今考えてみますと不思議なことで、「日本人とは何か」を考えるのに有力な手がかりになるのではと思われます。次に西郷を評した偉人たちの言を挙げてみます。

  「八面玲瓏、透徹した心的偉大さで卓越」 犬養木堂
「西郷は釣り鐘のような男だ。大きく叩くと大きく鳴り、
小さく叩くと小さく鳴る。」  坂本龍馬
「西郷は高士だ。あんな男は見たことが無い。」  勝海舟
「武士の最大の者、最後の者がこの世を去った。」  内村鑑三

  明治天皇も深く惜しみ、兵士も民衆もその死を哀悼したそうです
彼は政治家でも軍人でもなく、詩人にして教育家であったという人もいます。江戸の無血開城・徳川慶喜の助命・大政奉還・廃藩置県・国民皆兵の大事業は西郷なくしては成らなかったのではないでしょうか。
この稿は西郷賛美が目的ではないですから、彼の人間的な否定的側面も見てみますと、

  6.すぐに厭世的になり、隠遁したがる。
7.命を粗末にしたがる。
8.時代の進歩に歩調を合わせようとしない。
9.事に当たって計算しない。
10.ためらいも無く死地に飛び込む。

  以上1から10までは評論家鎌田勝氏の指摘によるところです。鎌田氏によると西郷は中国の毛沢東に似たところがあるそうです。つまり、
「私心の無い人柄とその豊かな人間味」
「革命家としては不世出の英雄だったが、建設期に入ると同僚と合わなくなる。」
「政権を取るとたちまち派閥争い・ぜいたく・汚職をする維新の志士に愛想を尽かす。」
といったところです。ただし我が大西郷と毛沢東の違いは、一方は禅をやっていただけあって、常に死地を求めていて実行したのに対し、他方は禅ならぬマルクスを勉強しただけであったので、いたずらに無この中国民衆を大虐殺する文化大革命を展開して、老醜をさらけだしてしまったことです。

  「西郷は禅をやっていたせいですぐ自ら死のうとする。」  大久保利通

  こう大久保は嘆いていましたが、みずからの定見の無さを追求された青島都知事は財政赤字は不景気のせいだと言って恥じる気配もありません。あるいはみずからの経営の不始末を国民の税金でうやむやにして責任を取ろうとしない大手銀行頭取たち。西郷さんがありせばと日本人なら思うことでしょう。
逆賊とされた庄内藩を許し、西郷は神様扱いをされるようになりました。庄内藩士たちによって編まれたのが、この文の底本になっている「南洲翁遺訓」であります。岩波文庫に現在は「西郷南洲遺訓」と題して収められている文集のなかに逸話という項目があります。  一文を引いてみますと、
皆死せ

  明治戊辰鳥羽の戦、官軍の一隊少勢なりしかば、急を相国寺中の陣営に報じ、援兵を乞う。翁手を挙げて、「残れる人数幾許(いくばく)なりや」と問う。答えて曰ふ。「一小隊あり」と。翁笑うて曰ふ、「皆死せ、しかして後援兵を送らん」
死を覚悟して兵を指揮していた西郷には恐れるもの何一つなく、助けを乞う者を笑う余裕があったようです。「先刻、死出のわかれをしたばかりなのにもう助けてくれですか。」といったところなのでしょう。
今日本に最も欠けている人材ゆえに、西郷の再現を切望しているのが日本人でありましょう。
いくら願っても、西郷さんが復活することはありません。再生を目指す第二の敗戦後の日本に最も望まれるのが、無私と決断の西郷的リーダーシップであります。