飽くなき挑戦

 10月1日、三重県国体サッカー成年チームは「えひめ国体」(第72回国民体育大会)一回戦で神奈川県選抜と対戦した。結果は延長戦含めて規定の90分間を終えて0対0となり、PK戦の末初戦敗退となった。相手シュート数5本に対し我々三重県代表は12本と、いつ得点してもおかしくない試合展開だったが、結局我々は予選から通算しても無失点のまま敗退となった。

 当日の会場には、渡邉三重県副知事や村木スポーツ推進局長も応援に駆け付けてくださった。サッカー成年男子は大きな期待を受けていたにもかかわらず、それに応えることができなかった。大変申し訳なく、悔しいとしか言いようがない気持ちで一杯である。また、県内のサッカーファン・スポーツファンに、勝利の報告ができなかったことは痛恨の極みである。

 敗因は何か?何が不足していたのか?考察しておきたい。前提として我々は、今ある環境で今ある力を最大限に発揮した結果が今回の敗退であるとお伝えしておきたい。選手・スタッフは持てる力を発揮してくれた。また、他県の監督と情報交換しても、選抜チームとして我々ほど準備万端で国体に挑めた県はなかった。チームも短い時間で一丸となり雰囲気も良かった。ではなぜ負けたのか?私は「習慣」と「初めての経験」という点が主な要因だったと振り返っている。

 我々は今回PK戦の末敗れた。PKの練習も毎回の練習時に実施していたので自信はあったが、実はPK戦直前の両チームの雰囲気は対照的だった。私が声をかけるまで選手たちは下を向いてベンチに引き返してきた。対する神奈川県選抜は、既に勝ったかのようなハイテンションでベンチへ引き返していった。このような雰囲気の差が結果に結びついてしまった。

 勝ちを引き寄せられなかった「習慣」とは、普段の選手たちの公式戦環境で試合に勝利する(=得点する)機会・経験が不足していることを意味する。勝ち癖・勝ちパターンが心身に培われているか否かは、特にノックアウト方式であるトーナメント戦には必須要素だ。

 「初めての経験」とは、これは監督の私にもあてはまるの問題であるが、本国体に出場した4回目にしてはじめて下馬評で勝利が予想される立場になったことである。これまで我々は常に格下(勝てば金星)として認識して本国体に挑んできた。しかし、今回は主要メンバーが所属するヴィアティン三重のJFLでの経験が加味されたこともあり、三重県代表が格上(勝って当たり前)と目算されていた。その目算が結果的には初めて経験する「こんなはずではない」といった見えないプレッシャーとなっていった。0-0の時間が長くなればなるほどそれは増幅し、三重を焦らせ神奈川を勇気付けた。PK戦直前の両チームの対照的な様子がそれを表していたと思う。

 以上のことも踏まえて、みえ国体までに上位入賞するにはどのような取り組みが必要か?それはJFL以上のリーグで優勝争いに絡むチームを作ることである。普段から勝ち方を知っている、勝つことを現実にできる選手の存在があって初めて、対戦相手に関わらず本国体で勝ち進む確率が1%増すと私は考えている。

 チーム競技・特に現代サッカーでは、一人の優れた選手によって勝利する確率は低くなっている。さらにサッカーでは格下が格上に勝利する確率も他競技より高い過去の実績データとなっている。このような他競技と比較しても不確定要素が多いサッカーというスポーツに私は魅了されている。人生そのものだとも思う。私は更にサッカーを追求し強い三重県サッカーを築き上げていくことに、必要とされる限りこれからも関係者と共に邁進していく。

中田一三
中田一三

なかたいちぞう 1973年4月生まれ。伊賀市出身。四日市中央工業高時代に、全国高校サッカー選手権大会に3年連続出場。92年1月の大会では同校初優勝をもたらし、優秀選手に選ばれた。中西永輔、小倉隆史両氏と並び「四中工の三羽烏」と称された。プロサッカー選手として通算194試合に出場。現在三重県国体成年男子サッカー監督。