<56>国史跡谷川士清旧宅(津市)

 今回は、津市にある国史跡谷川士清(ことすが)旧宅を紹介します(右上写真)。
 谷川士清は、江戸時代に活躍した国学者で、日本初の五十音順の国語辞典、『和訓栞(わくんのしおり)』を発行した人物として知られています(右下写真)。その士清が生活していた旧宅が今も残っていて、国の史跡に指定されています。
 この旧宅で、毎年5月10日、士清の業績を称え、後世に伝える「士清まつり」が開催されます。今年は平日の開催ですが、この機会に訪れてみてはいかがでしょう。知られざる偉大な人物が、ここ津から出たということをもっと多くの方々に知っていただきたいものです。

◆五十音順の国語辞典、何がすごい?
 今では当たり前になっている五十音順の国語辞典。それを初めてつくったからと言っても、いまいちそのすごさは理解できないかもしれません。しかし、江戸時代の当時は「いろは順」が当たり前で、そんな中で「五十音順」の辞典を発行しようとしたこと自体、画期的なことでした。
 では、なぜ五十音順の辞典を発行しようとしたのでしょうか?

 旧宅内の展示室に、士清が著した『日本書紀通證』という書物の「和語通音」という表があります(右写真)。カタカナでアイウエオ順(士清はオとヲを入れ替えて「アイウエヲ」としていた)に言葉が並んでいます。これは、動詞の五段活用の表で、語尾がアイウエオ順に並ぶことを表しています。
 たとえば「書ク」という動詞を例にすると、「書カ」ない、「書キ」ます、「書ク」、「書ク」とき、「書ケ」ば、「書ケ」、「書コ」う、と語尾がカキクケコと変化します。ほかにも「走る」「指す」「立つ」など、他の動詞も同じように活用し、語尾がアイウエオ順に並びます。それを整理したのが「和語通音」という表です。
 もっとも、士清以前でも動詞の活用は発見されていましたが、統一されているものがありませんでした。それをきれいに整理して、五十音順としてまとめたのが士清です。そして、この士清が考案した五十音順が、日本語のかなの並びとなって現在でも使われているのです。
 ちなみに、士清は、あの松阪の偉大な国学者・本居宣長とも親交が深かったのですが、宣長も士清が考案した五十音順は絶賛したほどです。

 当時使われていた「いろは順」は、小さな子どもでも言葉を覚えられるように、歌として伝えられてきたものだと思われますが、言葉の並びとしては全く意味のないものです。動詞の活用を整理していく過程で、五十音順に並べた方が日本語として意味のある、実用的な並びとなるだろう、と考えたのでしょう。それが五十音順表の考案につながり、さらに五十音順の辞典を発行しようという発想につながったと思われます。

 士清は、非常に多くの古典文学を引用し、熱心に辞典の編纂に取り組んでいましたが、その途中、68歳で死去してしまいます。その後遺族の手によって引き継がれ、死後100年以上たった明治20(1887)年、『和訓栞』全巻が発行されました。

◆間違ったことが大嫌い
 士清は、頑固な国学者だったのでしょうか。間違ったことが大嫌いな性格でした。その性格を象徴するものが、旧宅からやや北へ歩いたところにあります。「反古塚(ほごづか)」です(右写真)。
 この一角は、住宅街に囲まれた森となっています。ここに士清をまつる「谷川神社」があり、その奥に「反古塚」と呼ばれる石の塚があります。これは、士清が国語辞典を編纂している過程で書いた自分のメモや草稿などをまとめて地中に埋めたところです。
 メモの中には当然未確認な情報もあったりするため、そうした不確定な情報が自分の死後に散逸して、後世に誤ったことが伝わらないように、と鄭重に廃棄したのです。
 正しい情報のみを伝えようとした士清。情報まで徹底管理していたのですね。

◆士清の旧跡めぐりを
 士清旧宅のある津市八町は、かつて伊賀海道が通っていたこともあり、ところどころに古いまちなみが残っています。その街道めぐりも非常に楽しいですが、「士清まつり」が開催される時期ですので、せっかくですから士清の旧跡めぐりを楽しんでみてはいかがでしょう。
 旧宅、反古塚以外にも、士清ら谷川家の墓地(右写真)が近くにあります。反古塚のすぐ北に、谷川家の菩提寺・福蔵寺があり、その中に士清の墓があります。地元の方々や、士清ファン、歴史ファンの人たちが今も多く訪れます。

 5月1日付の伊勢新聞「博学」コーナーでも、国史跡谷川士清旧宅を紹介しています。
 先に紹介したように、士清は間違ったことが大嫌いな性格でした。その性格から、「正しい日本語」を追求することにつながり、五十音順の考案、五十音順の国語辞典の考案という優れた功績を挙げるに至ったことは否めません。
 が、一方で、反感を買ってしまうこともあり、それが谷川家没落のきっかけともなりました。その詳細については、新聞特集で紹介します。
 素晴らしい功績を残しながら、本居宣長ほどメジャーになれなかった理由は、何なのか…

 次回の「博学〜博物館で学ぶ〜」は、三重県立看護大学付属看護博物館(津市)を紹介します。WEBは5月7日(土)更新、新聞特集は5月8日(日)掲載予定です。

<施設案内>
国史跡谷川士清旧宅
開館時間9:30〜16:00
休館日月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始
入館料無料

津市八町3-9-18 〒514-0041
TEL 059-225-4346
伊勢自動車道津ICから車で約10分
近鉄津新町駅から徒歩約15分





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