<49>三重中央農協郷土資料館(津市)

 今回は、JR名松線一志駅から歩いて約10分。津市一志町にある三重中央農協郷土資料館を紹介します。近鉄大阪線川合高岡駅からも歩ける距離にあり、公共交通を使って行ける、非常に便利な資料館です。
 同館は、名前からも分かるようにJA三重中央が運営しています。JAが運営する全国でも唯一の資料館です。建物はかつて農協の米蔵だったところをそのまま使用していて(右写真)、展示室には、JA三重中央管内(旧久居市、一志町、白山町、美杉村)の農家から提供された農具や生活用具などが多数展示されています。そのほか、かつて旧一志町でさかんだった養蚕に関する資料や、旧一志町周辺の歴史資料もあって、地域の歴史を学べる資料館ともなっています。

◆もう1本走っていた鉄道、中勢鉄道
 旧一志町内には、JR名松線や近鉄大阪線以外にもう1本鉄道が走っていました。「軽便」や「へっつい(かまど)」などと呼ばれた中勢鉄道です(右写真)。津市の伊勢新聞社本社すぐ近くの岩田橋駅から、久居、そして雲出川沿いを通って名松線伊勢川口駅までを結ぶ、約20.2kmの鉄道でした。
 「軽便」の愛称からも分かるように、線路の軌道幅が762mmと狭い、ナローゲージ鉄道でした。ここにSLが走り、地元の人々に親しまれてきました。
 明治41(1908)年の開業当初は、久居〜神戸村間の約4.0kmしかありませんでした。最初は大日本軌道伊勢支社が運営していましたが、後に中勢鉄道に譲渡され路線も延伸されたのですが、並行して近鉄大阪線(当時の参宮急行電鉄)や名松線が相次いで開通し、次第に利用者が減少。昭和17(1942)年には岩田橋〜久居間が廃止し、翌昭和18(1943)年2月1日に全線が廃止されました。
 線路があった所は、現在もところどころに跡が残っていて、当時をしのばせます。特に川沿いには橋脚がよく残っています。

◆旧一志町の旧産業・養蚕の歴史
 旧一志町の歴史を語る上で、養蚕の歴史は外せません。明治時代、日本は殖産興業の一環で生糸の生産が盛んになり、各地で養蚕・製糸業が興りました。三重県でも各地で始まったのですが、中でも旧一志町が県内で最も盛んに養蚕が行われた地域でした。
 そもそも三重県(旧伊勢国)では古代から養蚕は盛んで、平安時代には節のない高品質の絹を産する、全国一の奉絹国として知られていました。また旧一志町内では、江戸時代に藩から養蚕が奨励されていたこともあり、各農家で行われていました。
 明治時代に入ると、新政府の国策として、生糸を製造して海外に輸出し、外貨を獲得する殖産興業策が進められました。富岡製糸場を代表とする養蚕・製糸場が全国各地につくられ、その流れを受け、出荷したら即現金化できたことも相まって、もともと養蚕技術のあった旧一志町内では各農家が積極的に養蚕に乗り出しました。最盛期には1240戸もの養蚕農家があったということからもその隆盛ぶりがうかがい知れます。
 明治後期には、高岡製絲、井関製絲の2社が操業しました。海外でも無検査でパスするほど高品質な生糸が大量に生産され、町は豊かでした。
 戦後は化学繊維が登場し、次第に絹糸は廃れていき、旧一志町内の養蚕農家も次第に激減。現在では1軒もなくなりました。
 かつての養蚕の歴史を伝えるのもこの資料館だけとなりました。養蚕の盛んだったことを象徴するものでしょうか、展示室入口には繭で「祝祭」の文字をつくったのれんがかけられています(右下写真)。

◆化石から古墳、初瀬街道まで。一志の歴史を学ぼう
 旧一志町の歴史を紹介する展示室もあり、同町内でみつかった化石や、古墳、そして奈良方面と伊勢を結ぶ初瀬街道の宿場に関する資料など、さまざまな歴史資料が展示されています。
 中でも、手づくりでつくった古墳の石室の模型がおもしろいです(右写真)。中に入ることもでき、古墳について子どもたちも楽しく学ぶことができます。
 同館は、小さいながらも、地元の小学生が多く学びに訪れるなど、地元に親しまれている資料館です。

 3月13日付の伊勢新聞「博学」コーナーでも、三重中央農協郷土資料館について詳しく紹介しています。どうぞ新聞特集もご覧ください。
 次回の「博学〜博物館で学ぶ〜」は、松阪市立歴史民俗資料館を紹介します。WEBは3月19日(土)更新、新聞特集は3月20日(日)掲載予定です。

<施設案内>
三重中央農協郷土資料館
開館時間9:30〜16:00
休館日日曜日、祝日、年末年始、8月14〜16日
観覧料無料(要予約)

津市一志町高野1204-1 〒515-2504
TEL 059-293-5000(土日祝日除く)
東名阪自動車道一志嬉野ICから車で約5分
JR一志駅から徒歩約10分
近鉄川合高岡駅から徒歩約8分





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