<43>朝日町歴史博物館

 今回は朝日町歴史博物館を紹介します。  朝日町は、桑名市と四日市市の間にある小さな町。面積わずか5.99平方キロメートルで、これは中部国際空港島とほぼ同じ面積です。もちろん、三重県で最も小さな自治体です。
 ところが、古代から東海道が通り、多くの人やモノ、情報がこの地を行き交うなどしたためか、古くからの遺跡や文化遺産が多く残されていて、小さな町域の中にさまざまな歴史がギュッと凝縮された町でもあります。町の名前も、672年壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)がこの付近で朝日を拝んだという伝承が由来になっています。
 いにしえの香り高い朝日町をご案内します。

◆企画展の期間中は、常設はお休み
 1月16日(土)から2月14日(日)の間、同館では平成27年度企画展「真秀と立仙の活躍した時代〜復古大和絵派と円山四条派〜」を開催しています。栗田真秀(1871-1942)と水谷立仙(1882-1970)という、明治〜昭和時代に活躍した朝日町出身の2人の画家に焦点を当てた特別展です。
 栗田真秀は桑名の画僧・帆山唯念(花乃舎)に師事し、後に京都に移って宮家から注文を賜るなど、復古大和絵派の画家として活躍しました。水谷立仙は萬古焼の下絵描き職人から始まり、京都で円山四条派の重鎮竹内栖鳳に師事した後、再び故郷の朝日町小向に戻り、絵を描き続けました。今回の企画展では、彼らや師匠の絵画や関連資料などを展示室いっぱいに展示しています。
 さて、この博物館の大きな特徴の1つですが、年2回の企画展開催期間中は、常設の展示物は全て片づけ、全館を使って企画展を行っています。ということは、2月14日までの間は、栗田真秀と水谷立仙に関する展示ばかりになっています。この期間は、常設はお休みとなっています。

◆歴史深い朝日町を訪ねる
 歴史が凝縮された町、と冒頭で紹介しましたが、東海道を中心に古いまちなみが残っていたり、そのところどころに名所や旧跡が残っていて、歩いてみて回るだけでも楽しいところです。博物館から歩いて、朝日町の歴史散歩をしてみましょう。
 博物館からJRの線路沿いを北東に歩いてしばらくすると「名谷(めんたに)公園」という公園があります。公園の一角に「森有節之墓」と刻まれた石碑がありますが、ここは江戸後期、萬古焼復興に尽力した森有節が萬古焼(再興萬古)の窯を築いた跡地です(右写真)。桑名の豪商・沼波弄山が創始した萬古焼が途絶えて久しいのを惜しみ、天保3(1832)年に有節がこの地に窯を開き、萬古焼を復興させました。有節の作品は「再興萬古」と呼ばれています。今は窯跡のすぐ崖上は団地となっていて、当時のおもかげはありませんが、この地が新たな萬古焼の始まりの地だったのです。
 そこから東に線路を渡った先に、「橘守部生誕地遺跡」と書かれた案内板があるのに気づきます(右写真)。ここが江戸時代後期の国学者・橘守部(1781-1849)の生誕地です。守部は天保の国学4大家の1人に数えられる、江戸後期の有名な国学者でした。国学者として才覚を表したのは60歳を越えてからという大器晩成型の人間でしたが、『古事記』『日本書紀』『萬葉集』などに表された和歌の研究が中心で、「ことば」の持つ意味や使い方などについて深く研究しました。
 守部生誕地は、東海道に面していて、周囲は古い街道の趣を残したまちになっています。
   そして朝日町役場のすぐ前には、大正ロマン漂う洋風建築が目に見えます。朝日町資料館です(右写真)。これは大正5(1916)年に朝日村役場として建てられたもので、昭和39(1964)年に隣接地に新庁舎が完成すると朝日町公民館として転用され、さらに昭和53(1978)年に朝日町資料館となりました。おっと、この内容はまたの機会に「博学」コーナーで紹介しましょう。




 その他にも、町の北端の山の中には縄生廃寺跡という遺跡があります。集落を抜け、畑を抜けて山の中を分け入った先にあるのですが(右写真)・・・この内容は1月31日付の伊勢新聞「博学」コーナーで詳しく紹介します。

 次回の「博学〜博物館で学ぶ〜」は、海の博物館(鳥羽市)を紹介します。WEBは2月6日(土)更新、新聞特集は2月7日(日)掲載予定です。

<施設案内>
朝日町歴史博物館
開館時間9:00〜17:00
休館日月曜日、月末、祝祭日、年末年始
観覧料無料

三重郡朝日町柿2278 〒510-8103
TEL 059-377-6111
FAX 059-377-6112
伊勢湾岸自動車道みえ朝日ICから車で約5分
JR朝日駅から徒歩約5分
近鉄伊勢朝日駅から徒歩約20分





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