<31>大黒屋光太夫記念館

 今回紹介するのは、鈴鹿市にある大黒屋光太夫記念館です。
 さて、11月1日は日本紅茶協会が定める「紅茶の日」なのですが、その制定のきっかけとなったのが、鈴鹿市若松出身の大黒屋光太夫です。ご存知でした?
 日本紅茶協会によると、光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ日ということで11月1日を「紅茶の日」に定めたとされています。
 そういったエピソードも含めて、今回の「博学〜博物館で学ぶ〜」は大黒屋光太夫について詳しく紹介していきます。11月1日付伊勢新聞「博学」コーナーでは、同記念館に見る光太夫の足跡を紹介します。日本で初めて紅茶を飲んだこと以外に、意外な日本初もあるのですが、それは何でしょう?11月1日付伊勢新聞をお楽しみに。
 このWEB特集では、同館で現在開催中の特別展の紹介と、同館周辺にある大黒屋光太夫にちなんだ史跡を紹介します。記念館とともに、光太夫めぐりを楽しんでみてはいかがでしょう。

◆「おろしや国酔夢譚」の世界
 10月24日(土)〜12月13日(日)の間、大黒屋光太夫記念館では開館10周年記念特別展「『おろしや国酔夢譚』の世界」を開催している。
 故・井上靖が大黒屋光太夫を主人公として描いた長編小説『おろしや国酔夢譚』の執筆背景や、ものがたりの世界を紹介する展示となっています。同小説は、平成4年に映画化もされ、文庫本も出されました。大黒屋光太夫の名を世に知らしめた作品でもあります。
 約50点の資料が展示されていて、中でも故・井上靖の生原稿や校正し直した手入れ原稿など、直筆の原稿が見ものです。ファンにはたまらない展示品でしょう。
詳しい説明(チラシ)は・・・
http://suzuka-bunka.jp/kodayu/151009.pdf

◆生きているのにつくられた供養碑
 大黒屋光太夫らが乗り込んだ神昌丸は、天明2年12月13日(西暦1783年1月15日)、白子浦を出帆したものの遠州灘で遭難し、約7ヵ月間の漂流の末アリューシャン列島アムチトカ島に漂着しました。
 その10年後、光太夫ら2名は日本に無事帰還することができたわけですが、郷土の人たちは遭難した光太夫が生きているなんて思いもよりません。遭難2年後の天明4年12月には、3回忌として右写真の供養碑を建立しました。
 現在、千代崎漁港近くの共同墓地の中に供養碑があります。裏面を見ると、確かに「天明四年」の文字が。全世界に瞬時に情報が行きわたる今と違って、情報がなかなか入らない時代のことですのでやむを得ないことでしょうが、生前に自分の供養碑が建てられているなんて…

◆開国曙光の碑
 大黒屋光太夫記念館から歩いてすぐのところに大黒屋光太夫顕彰碑「開国曙光の碑」があります(右写真)。若松地区市民センターの敷地内にあって、非常に分かりやすいところにあります。大正7年に地元の有力者によって建立されたものが、倒壊・折損などがあって、現在地に建て直されたものです。
 さて、碑文の文章を書いたのは新村出という人物ですが、この名前どこかで聞いたことがありませんか?『広辞苑』の編者にもなった有名な言語学者です。大黒屋光太夫に深く傾倒し、ひろく世に知らせることに熱心だったようです。
 そして地元の方々の熱意も加わり、顕彰碑の建立へとつながっていったのです。ほかにも伊勢若松周辺では、光太夫ゆかりの地を示す案内板やのぼりが各所にあります。地元に愛された人物だということがよく分かりますね。

 次回は、三重県立熊野古道センター(尾鷲市)を紹介します。WEBは11月7日(土)更新、新聞特集は11月8日(日)掲載予定です。

<施設案内>
大黒屋光太夫記念館
開館時間10:00〜16:00
休館日月・火曜日、第3水曜日(月曜日のみ、休日の場合は開館)、年末年始
※特別展会期中は火曜日と第3水曜日も開館
観覧料 無料

鈴鹿市若松中1丁目1-8 〒510-0224
TEL 059-385-3797
http://suzuka-bunka.jp/kodayu/
近鉄白子駅から車で約15分
近鉄伊勢若松駅より徒歩約15分





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