<19>津市香良洲歴史資料館

 間もなく戦後70年の終戦の日を迎えます。ということで、今回は三重県にある戦争にちなんだ博物館を紹介しましょう。
 第19回目の「博学〜博物館で学ぶ〜」は、津市香良洲歴史資料館の紹介です。戦時中、旧香良洲町(現在の津市香良洲町)には海軍飛行予科練習生(予科練)の訓練を行っていた三重海軍航空隊がありました。その跡地に建てられたのが津市香良洲歴史資料館です。
 全国から集まった若者たちが、この場所で日々航空搭乗員になるための厳しい訓練を行い、戦地へと飛び立っていきました。この資料館は、当時の資料や訓練生たちの日記、家族との手紙や遺書などが展示されている、東海3県でも数少ない戦争関連の資料館です。
 合併前は旧香良洲町に特化した資料館で、「遺品室」などはとてもセンセーショナルな空間で非常に印象深かったものでした。合併後、平成24年度に改修が行われ、津の空襲関連の展示なども加えた、津市の戦争と平和を考える資料館としてリニューアルしました。
 9日(日)付け伊勢新聞「博学」コーナーでは、三重海軍航空隊の詳しい内容や、兵士たちの手紙や遺書などを紹介します。
 このページ「博学WEB」では、今でも旧香良洲町に残る三重海軍航空隊の痕跡を紹介しましょう。

◆三重海軍航空隊の正門が、いま資料館の門に
 資料館の南に石積みの門がありますが、これは実際に三重海軍航空隊の正門として建てられていたものです(右写真)。現在のマックスバリュ香良洲店付近にあったもので、元航空隊訓練生の方々の尽力によって、昭和49年現在地(資料館)に移転され保存されたものです。
 当時多くの若者たちがこの門を通り、厳しい訓練の末、飛び立っていきました。碑文にも「祖国の繁栄と民族の平和を念じつゝ悠久の大義に殉じていったその霊を顕彰する」と刻まれています。

◆当時のおもかげを知る貴重なレンガ塀


 マックスバリュ香良洲店すぐ北の交差点に、今にも倒れそうなレンガ塀があります(右写真上)。これは当時の正門近くにあったレンガ塀の一部です。資料館に移築した門柱(上述)ももとはこの付近にあったものです。今にも崩れ落ちそうですが、当時のものがほとんど失われていった中にあって貴重なものです。
 また当時繋船池として船があった場所は、改修されて漁港として活用されています(右写真下)。
 三重海軍航空隊は、終戦から約1か月後の9月30日に解隊され、施設の一部は学校の校舎等に再利用されましたが、それも建て替えや移転などで、当時の様子をとどめるものはほとんどなくなってしまいました。








◆また1つ失われていくおもかげ
 資料館の中に入ると、旧香良洲町の航空写真(右写真)があり、当時の三重海軍航空隊の範囲が点線で記されています。よく見ていると、その北側(右写真でいうと右側のあたり)に、当時の兵舎の跡が痕跡として残っているのが見えると思います。いわゆるクロップマーク(土壌に現れる痕跡)といわれるもので、当時の建物の形がはっきり見えるのが分かります。
 現在この土地は、香良洲高台防災公園として整備が進められているところです。津波などからの避難場所として約4mの高さの盛り土が施されることになるのですが、すでに土砂がかなり盛られています。戦時中の遺構はすでにこの土砂の下に埋まってしまいました。
 防災のためなので致し方ありませんが、また1つ当時のおもかげが失われていくことに寂しさを感じます。が、戦時中の「日本を守る」ために命を殉じた若者たちがいた場所が、現代のわれわれの「命を守る」防災高台公園になる、というのも何かの因縁でしょうか。

 次回は、藤原岳自然科学館(いなべ市)を紹介します。WEBは8月15日(土)更新、新聞特集は8月16日(日)掲載予定です。

<施設案内>
津市香良洲歴史資料館
開館時間9:00〜17:00
休館日月曜日(休日の場合は翌日)、12月28日〜1月4日
観覧料無料

津市香良洲町6320 〒514-0313
TEL/FAX 059-292-2118
JR・近鉄・伊勢鉄道津駅東口と近鉄久居駅から三重交通バス香良洲公園行きに乗車、
香良洲神社前バス停下車徒歩約7分
伊勢自動車道 久居ICから車で約20分





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