江戸時代の名奉行として名高い大岡越前守は、実は伊勢にいた!
「大岡裁き」として知られる大岡越前守忠相(ただすけ)は、約4年間現在の伊勢市にある山田奉行所にいました。その跡地に当時の建物を忠実に復元した山田奉行所記念館があります。
そこで、第6回目の「博学」は山田奉行所記念館を紹介します。展示資料は多くありませんが、江戸時代の奉行の仕事や生活が分かるようになっています。
10日付の伊勢新聞6面「博学」コーナーでも、山田奉行所の詳しい内容を紹介します。山田奉行所にいた頃の大岡忠相や奉行の多忙な仕事などを掲載をしますので、ぜひご覧ください。
◆数多くの軍船を保有する堂々たる陣容
慶長8(1603)年、江戸に幕府を開いた徳川家康は、全国各地に遠国奉行を設置しました。長崎、佐渡に次いで全国で3番目に設置された遠国奉行が山田奉行所でした。それだけこの地を重要な場所と考えたのです。
山田奉行所の最も重要な任務は伊勢湾の海上警備でした。そのため軍船を数多く保有していました。「虎丸」という大きな御座船のほか早船8艘を持っているなど、幕府出先としては堂々たる陣容を誇っていました。
記念館の展示でも、入り口に「虎丸」の模型のほか軍船関係の資料が並んでいるなど、海の警備が重要だったことがうかがい知れます。
◆移転を余儀なくされた山田奉行所
山田奉行所は最初、現在の伊勢市有滝に設置されました。海上警備の必要性からその地が選ばれたわけですが、当初から多くの問題がありました。
奉行の業務は非常に多く、市中見廻りから事件の裁判、行政など幅広い上に、山田奉行所はさらに海上警備や伊勢神宮の警備まで任されました(10日付伊勢新聞に詳述)。
にもかかわらず人里から遠く離れた場所にあるため、伊勢神宮周辺にあった人口密集地の警備ができませんでした。そのため市街地(現在の伊勢市吹上)に支所をつくり、市中の警備を担当させていました。
のちに寛永12(1635)年、少し伊勢神宮に寄った現在地(伊勢市御薗町)に移転しました。以降支所は廃止となり、山田奉行所1ヵ所で全ての業務を行うようになり、幕末までこの地で業務が行われました。
◆今に残る裁判資料
奉行所というと、時代劇での裁判シーンを思い起こす方が多いと思いますが、山田奉行所でもそのような裁判は行われていました。罪人を座らせて尋問する「白洲」(左写真)もありました。当時の白洲が復元されていて、この記念館の写真撮影ポイントになっています。
訴訟で多かったのが領地争いで、その裁判資料も展示されています(右写真)。この図は寛延2(1749)年の新開村・王中島村領界裁定図と呼ばれるもので、朱色の線付近で起こった領地争いを裁定した記録となっています。
◆5万人目の来場者はあなたかも
5月9日で開館10周年を迎えました。これまで約47000人の来場者があって、ことし(平成27年)秋ごろにも5万人を突破する見込みです。5万人目の方には記念品も用意する予定だそうです。5万人目をぜひねらってみては。
次回は、桑名市博物館を紹介します。WEBは5月16日(土)更新、新聞は5月17日(日)掲載予定です。
<施設案内>
山田奉行所記念館
開館時間 | 9:00〜16:00 |
休館日 | 火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 |
観覧料 | 無料(当分の間) |
伊勢市御薗町上條1602 〒516-0806
TEL/FAX 0596-36-8833
JR・近鉄伊勢市駅からタクシー(車)で約15分
伊勢自動車道伊勢ICから車で約10分
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