<みえの平成史>四日市公害、風化を懸念 最後の生き証人死去

【四日市公害と環境未来館開館式典であいさつする野田さん(平成27年3月21日撮影)】

【四日市】四日市公害訴訟の原告9人のうち、唯一の存命者だった野田之一さんが、平成31年1月25日、気管支ぜんそくのため87歳で死去した。今後四日市公害の風化がさらに進むことが懸念される。

野田さんは石油化学コンビナートに隣接する塩浜地区で漁師をしていたが、二酸化硫黄を含む排煙で大気汚染がひどくなり、4大公害の一つ「四日市ぜんそく」を発症、昭和40年に公害認定された。

同42年、四日市公害の原告の一人として、認定患者8人とともにコンビナート企業6社を津地裁四日市支部に提訴した。同支部は47年に企業の責任を認め、6社に約8800万円の支払いを命じた。

平成12年ごろから、四日市公害の語り部として活動を始め、同27年に「四日市公害と環境未来館」(四日市市安島)が開館してからは、小学生らに自身の体験などを伝えてきた。

一方、野田さんら被害者を支えてきた「四日市公害を記録する会」代表の澤井余志郞さんも、野田さんに先立つこと約3年、平成27年12月16日に心不全のため87歳で死去した。澤井さんは四日市公害の被害者の救援活動に尽力し、写真や文章で公害を患者目線で記録し続けた。公害の教訓を後世に残そうと19年、「『四日市公害』市民運動記録集」全4巻を編集、刊行したほか、語り部として活動し、同館の協議会委員を務めた。

同館展示室やホームページでは野田さんらの証言映像が、現在も視聴できる。