2019年3月20日(水)

▼スポーツ選手は個人としては欲望に負けることなく、向上心を持ち続ける人が多いが、組織の長になると独りよがりで、見苦しいほど保身に走る人が少なくない。日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長を巡る辞任劇でも、われわれは見せつけられた

▼東京五輪・パラリンピック招致疑惑で仏検察当局が捜査を進めている最中に、JOCは竹田会長の定年延長を決めた。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、1年前イベントへの出席を拒否した。同席を嫌がったと報じられている。互いの組織事情があるが、五輪精神に沿うのはどちらか

▼モスクワ五輪ボイコットの教訓で排除したはずの政治介入を再び招いたという嘆きがJOCにあるというのもいただけない。理不尽が通る組織が問題であり、かつては政府外郭団体としてのJOC、今回は政治から距離を置いたはずのJOCで起きたというだけである

▼無から有を生み出す、ある意味錬金術に通じるのがスポーツビジネスではないか。打ち出の小づちからどれほど小判を生み出して組織を潤すかを問われるのが組織トップの役目だろう。選手とはおのずと意識の違いは出てくる

▼会長退任で涙するJOC理事もいたという。しがらみ第一の日本の組織を思わせる。IOCは「最大の敬意をもって意思を尊重する」とコメントした。世論を意識したのはどちらか

▼指定管理者受託争いで各種工作をしたとされる鈴鹿市体育協会会長が留任した。市長の意思も巧みにかわしたとされる。遊泳術は、日本のスポーツ団体トップに不可欠な能力ではある。