2018年6月30日(土)

▼石原慎太郎氏が一昨年、田中角栄元首相を主人公に政治小説『天才』を著わし、失脚後何度目かの角栄ブームが訪れた。その政治力もさることながら、あの時代はよかったという郷愁もブームの背景にはあろうから時の政権としては複雑な思いがあるのではないか。杉本龍造元鈴鹿市長を顕彰するミュージカル「杉本市長と私」を後援する鈴鹿市はどうか

▼29年間の長期市政で本田技研工業や鈴鹿サーキットなどを誘致し、市の発展に貢献。現職ですでに大市長の声望があったが、個人的に謦咳に接したのは、県教育委員長だった昭和60年の県議会だ。理論家で知られた田中亮太県議(のち亀山市長)が教育委員会の形骸化について杉本氏に論戦を挑んだ。事務局案の追認機関になっているのではないかという指摘に、杉本氏は制度論を中心に一歩も引かず、何度も挙手して反論する異例の展開になった

▼教委の現状に甘んじてポストに座る元大市長に現実を認めさせようと意気込む田中県議と、この若造がという杉本氏の意地と意地とのぶつかり合いといわれた。大市長が後継としたのが歯科医の野村仲三郎。その市政下で名誉市民にもなったが、前後して檀家総代を務める寺の住職衣斐賢譲が市長に意欲を見せ、杉本氏は仲介役として野村を昭和62年の3期まで。あとを衣斐の裁定を下したとされる

▼4期を目指す野村の動きで2人は62年市長選で激突。杉本氏は衣斐の後ろ盾となり、のちの市政に野村、衣斐両派の対立を生んだ。市の政治に今日に至るまでしこりを残した。芸術は美しく、政治は泥臭い。